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 済美平成が公式戦で初めて勝利したのは2003年夏。9年後の12年夏にもう一つ、忘れられない「初勝利」がある。

 08年1月、前監督の佐藤良信さんが36歳の若さで急逝した。同好会時代から部を見守ってきた佐藤さんの部屋には、03年の初勝利のウィニングボールが飾られていたという。

 山本篤志監督(33)は教師になって1年目の冬に佐藤さんの後を継いだ。「佐藤先生おらんなったけど、夏、出たいか」。うなずく部員たちの顔を見て心に決めた。「なんとか勝たせてあげたい」。しかし、夏は08年から4年連続の初戦敗退。12年は「今年こそ」という思いと「自分が監督でいいのか」という不安に悩んでいた。

 12年夏の第94回愛媛大会に臨んだ当時の3年生は、中学時代に生前の佐藤さんから指導を受けた最後の学年。ただ、公式戦で勝ったことがなかった。

 「どこの野球部かと聞かれて、『済美平成です』と堂々と答えられない時期もありました」と、副主将だった山本晴希さん(23)は語る。「だったら僕らが歴史を作ろう」。練習内容は自分たちで考え、体づくりや勉強にも手を抜かなかった。

 部員たちの姿は山本監督を勇気づけた。「彼らを見ていたら負ける気がしなかった」

 迎えた今治東との1回戦。三回裏、東山幸平さん(当時3年)が直球をセンター前に運び、2点を先制。先発の大北慶さん(当時3年)は五回まで相手を0点に抑えていた。

 六回表、今治東の二塁打で1点をかえされた。しかし、一塁走者は三塁で止まり、同点を免れた。「1点が残ってくれた。勝てる」。続くピンチをしのぎ、そのまま守りきった。

 試合後、山本さんは主将の「気をつけ!」の一声で我に返った。「これから校歌を歌うんだ」。佐藤さんにも聞こえるように歌うと、山本監督が大粒の涙を流しているのが見えた。

 「たくさんの人が喜んでくれて、こんなに応援されていたんだと気づきました」と山本さんは振り返る。「だから僕らは胸を張って言っていい。済美平成野球部だと」(村上綾)

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