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 6月末で閉店する名古屋・栄の百貨店「丸栄」。前身の呉服店を含めて約400年の伝統を誇った老舗はなぜ、閉店することになったのか。その歴史を振り返りながら、背景を探った。(細見るい)

 1943(昭和18)年に発足した丸栄は松坂屋、名鉄百貨店、名古屋三越とあわせて「4M」と呼ばれる地元百貨店の一角だ。増築を繰り返し、56年の営業面積は3万6千平方メートルに。社史によると「当時としては西日本随一の規模」になった。

 91年度(92年2月期)には売上高が過去最高の825億円に達し、社内で「1千億円突破」をめざす機運が高まった。時期は定かではないが、「オリエンタル中村百貨店(現在の名古屋三越栄店)の救済話が持ち込まれた」との証言もある。元常務の加古守氏(67)は「百貨店は『流通の王様』でどんな商品も売れた。廃れないという感覚があった」。

 歯車が狂ったのは、91年のバブル崩壊だった。「モノの値段には相場があるけど、それが壊れた。安ければ良いという感覚が出てきた」。「年間500億円の売上高」を死守しようとしたが、売り上げは92年度(781億円)から減少に転じ、01年度には497億円になった。

「ギャル」層取り込み狙う

 丸栄は手をこまぬいていたわけではない。保有する土地や有価証券を売却し、早期の希望退職者も募集した。東京・渋谷の109をモデルに、ギャル系ファッションブランドを誘致。99年には本館2階に「ヤングレディースフロア」もオープンした。俗にいう「ギャル栄路線」だ。98年に社長に就いた後藤淳氏(83)は「百貨店が『小売りの王者』と呼ばれた時代は過ぎていた。従来型の百貨店経営は限界で、違った業態と連携する方向性を打ち出した」。

 00年代になると業界再編が加速した。03年に西武百貨店とそごう、07年に大丸と松坂屋ホールディングス、阪急百貨店と阪神百貨店、08年に三越と伊勢丹が統合した。丸栄にも誘いはあったようだが、選んだのは独立路線だった。元幹部は「歴代経営者に東からの資本を入れたくない『名古屋モンロー主義』があった。井の中のかわずだったかもしれない」。地元では00年にJR名古屋高島屋が開業し、名古屋駅周辺の名駅地区の再開発も進行。客が流れる一因になった。

 追い打ちをかけたのが08年秋のリーマン・ショックだった。米国発の金融危機が世界同時不況を引き起こした。別の元首脳は「売り場は諦めムード。金融の話が自分たちに大きな影響を与えるなんて思っていなかった」。総合商社・興和は10年、丸栄を連結子会社化して再建をめざしたが、丸栄は16年度決算で8億円の純損失を計上。昨年12月に閉店を表明した。

 丸栄の売上高は16年度(168億円)まで25期続けて減った。経営の縮小均衡が、営業や販売で「負の連鎖」を招いたのは否めない。ただ、時代の潮流に抗(あらが)うのが難しかったのも事実だろう。国内百貨店は91年を境に売り上げが減り、地方百貨店の閉鎖も相次ぐ。社長を10年務めた後藤氏に心境を尋ねると、こんな言葉が返ってきた。「丸栄は75年、立派にやってきた。ありがとうの気持ちを持っている人は多いのではないでしょうか」

再開発完成、27年目指す

 丸栄は外商の営業を続け、会社も存続する。ただ、1953年に建てられた本館は耐震性に問題があるため、9月から取り壊される。

 親会社の興和は、周辺で所有す…

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