大連、消えゆく日本風建築 軍の副業厳禁化、相次ぐ閉鎖

大連=平賀拓哉
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 中国東北部で、戦前に建てられた日本ゆかりの住宅が次々と姿を消している。都市開発で取り壊され、軍が所有していた物件も閉鎖された。一方、歴史問題を乗り越え、保護に乗り出す市民も現れている。(大連=平賀拓哉)

 遼寧省大連市南部の小高い丘にある軍の療養施設。かつて日本の関東軍将校らの邸宅が並ぶ高級住宅地だった。戦後に中国軍共産党の幹部が別荘として使い、近年は一部がレストランや会員制クラブとしてテナント貸しされていたため、古い建築が残っていた。しかし現在は人の気配がなく、ドアに「封」と書かれた紙が貼られている。

 「昨年急に追い出された。補償金ももらっていないが、軍の物件なので文句は言えない」。借りていた飲食店関係者はため息をつく。

 大連に残る日本統治時代の住宅群は軍や関係部門が所有しているものが多く、地元政府や開発業者も手出しできなかった。結果的には保護されてきた。

 しかし習近平(シーチンピン)政権が進める軍改革で軍のサイドビジネスが厳禁され、店は軒並み閉鎖された。これらの建物が今後どうなるのか、見通しは立っていない。

 軍所有でない建築は、すでに開発で多くが取り壊された。

 市中心部から南東にある「日本風情一条街」も、戦前は南満州鉄道(満鉄)や日系企業の幹部らの邸宅が立ち並ぶ高級住宅街だった。現在は当時の建築を改装したようなレストランやカフェが並ぶが、実は古い建物を壊し、新たに建てたものがほとんどだ。

 街並みが一変したのは1999年。当時の大連市長が開発に辣腕(らつわん)を振るった。党最高指導部入りを狙い、後にスキャンダルで失脚した薄熙来(ポーシーライ)氏である。古い建物を次々と取り壊してビルや公園を整備した。日中関係が良好だった当時、薄氏は大連と日本の結びつきを強調しようと考えたか、「日本風情」を強調する開発にも乗り出した。薄氏が去った後の2009年にも大規模開発があり、古い建築の多くが失われた。

 日本時代の官公庁舎や病院、銀行といった大型建築は、戦後の中国でも保護、活用されているが、住宅の大半は対象外だ。瀋陽など旧満州国の主要都市だったところでも、古い住宅は荒れ放題になっている。

歴史観超え、保護意識広がる

 こうした古い建築にひかれ、保護に動き出す市民も出てきた。

 大連で夫と写真館を経営する劉軍理さん(52)は昨年、1922年建築の2階建て住宅を借りて改装し、1階をカフェ、2階を写真スタジオとして開業した。満鉄の研究機関に所属する日本の化学者が暮らしていたことを知り、入り口に紹介文を掲げた。

 劉さんは軍人の家庭に生まれた。住んでいた兵舎は、日本時代の学校を改装したもので、庭先から床下まで遊び場として親しんだ。すりガラスや引き出しにみられるさりげない技巧が、劉さんに深い印象を残した。

 借りた住宅は10年以上空き家で傷みがひどく、改修費は100万元(約1700万円)を超えた。新築より高くついたが、劉さんは「屋根瓦が特に好き。時の流れを刻んでいて、私たちを過去に連れて行ってくれる」と魅力を語る。

 大連生まれの●(のぎへんに右上が「尤」右下が「山」)汝広さん(45)は2006年から市内の古い建築をブログで紹介し、著書を2冊出版した。資料を集めて一つ一つ訪ね歩き、住民に聞き取り調査を重ねた成果だ。

 中国政府が日本関連の建築を保存するのは一般的に「侵略された歴史の証し」とするため、とされる。だが●(のぎへんに右上が「尤」右下が「山」)さんの著書で日本を非難する言葉は見当たらず、建物の歴史を淡々と紹介するだけだ。このスタイルは時に「売国奴」と批判を受ける。だが●(のぎへんに右上が「尤」右下が「山」)さんは言う。「日本のものでも中国のものでも区別しない。私が育った、美しい大連のものだから守っているんだ」

 歴史観にとらわれず古い建物を守ろうという意識は、若い世代に芽生えている。昨年には大連市内にある満鉄時代の車庫が取り壊されそうになり、ネット上で市民が批判し、保存されることになった。

 だが開発政策と建物保護が対立すると、保護の意見は政府に対抗する動きと見なされる。車庫取り壊しをネットで批判した男性(26)は、仕事から帰る途中に突然暴行を受けた。「行動を起こすことは難しく、監視を続けてネット上で批判するのが限界だ」と話す。この男性らはインターネットのグループチャットで情報交換を続けている。

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 〈関東州と満鉄付属地〉 日本は日露戦争の結果、中国の遼東半島先端の大連や旅順を含む地区を関東州として租借、植民地とした。また奉天(現・瀋陽)などでは南満州鉄道付属地の行政権を掌握。こうした地域に庁舎や住宅が建てられた。満州事変後、1932年の「満州国」建国で日本支配が中国東北部一帯に広がり、各地に多くの建築が残された。