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 重松清さんの連載小説「ひこばえ」を第1回から掲載しています。挿絵は川上和生さん。

 主人公は首都圏に暮らす洋一郎、55歳。子どもの頃に父は母と別れて家を出た。自分も父になり、まもなく孫ができる洋一郎は遠い記憶の父を思い出す。

写真・図版

序章 こいのぼりと太陽の塔

 父は、私の初節句にこいのぼりを買ってくれた。本格的なものではない。団地の狭いベランダに飾っても邪魔にならない程度のサイズだから、おもちゃ同然――実際、駅前のおもちゃ屋で売っていたらしい。

「気まぐれだったのよ」

 ずいぶんあとになって、四つ上の姉の宏子から聞いた。私が小学校を卒業する頃のことだ。

「たまたま店の前を通りかかったら、店先にこいのぼりがあって、パチンコかなにかでお金があったから買ったの」

 ほんとだよ、そう言ってたもん、わたし覚えてるもん、と姉は続ける。

 父について話すときの姉は、いつも声の響きが強くなる。口をとがらせて話すせいだ。中学生や高校生の頃はとりわけ言い方がきつかった。顔も怖い。私をにらみつけて話す。そのまなざしに射すくめられ、口調にひるんで、まるで自分が叱られている気分になることもしばしばだった。

 だが、もちろん、姉は私に腹を立てているわけではない。

「思いつきでなんでもやるのよ。で、たいがい失敗しちゃうの」

 誰が――とは、姉は言わない。私も訊(き)かない。

「洋ちゃん、あんたも気をつけないと」

 私の名前は洋一郎という。姉や母や親しく付き合っている親戚には、洋ちゃんと呼ばれていた。石井洋一郎という名前で生まれ、途中で苗字(みょうじ)が吉田に変わり、さらに長谷川になった。小学六年生の頃は、吉田洋一郎だった。卒業間際の頃は、吉田の苗字の終わり間近ということになる。

「そういう性格って、父親から息子に一番しっかり受け継がれるんだから」

 なんの根拠もない話だ。素直で臆病な弟を脅しただけだ。もう少しおとなになればわかる。はいはい、そうですか、と笑って聞き流す余裕もできる。

 だが、小学六年生の私は、姉の言葉をまともに受け止めた。顔をこわばらせてうなずくと、姉は追い打ちをかけて言った。

「あんなふうになったら、絶対にだめだからね」

 姉は父の話をするときに主語を省く。「お父さん」の一言を口にしたくないのだ。

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 父がなにを思ってこいのぼりを買ったのか。本人に尋ねる機会はなかったし、母にも訊(き)いたことはない。

 姉は、ふと思いついただけの気まぐれだと言う一方で、「どうせパチンコに勝ってお酒を飲んで、ご機嫌になって、気が大きくなってたんじゃないの」とも言う。酔った勢いで買った可能性もあるのだろうか。

 もっとも、姉は別のときには、こんなふうに言っていた。

「生まれたばかりの洋ちゃんが寝てるのを見ながら、こいのぼり買わなきゃなあ、しょうがないなあ、まいったなあ、って文句言ってたの。わたし、聞いてたもん。しかたないから一番安いのを買ったんだよ」

 さらには――。

「あのこいのぼり、ほんとは買ったんじゃなくて、誰かのお古をもらったんだよ。それを買ったことにして、お母さんにお金を貰(もら)ったの。ひどいよね、詐欺師だよね」

 さすがにそれは、幼い私にも噓(うそ)だとわかった。父について話すとき、姉はしょっちゅう噓をついていた。「なーんてね」と笑うためではなく、いらだちを紛らす、八つ当たりのように。すぐにばれる噓がほとんどだったが、母をはじめ親戚のおとなたちは、めったに姉を叱らなかった。

 とにかく、父は私にこいのぼりを買ってくれた。それだけは確かだった。

 こいのぼりは、吹き流しと大きな黒鯉(こい)、それに小さな青鯉と赤鯉、合わせて四点がセットになっていた。素材はなんだったのか、ポールに矢車がついていたのかどうか、ベランダの手すりにどんなふうに結わえられていたのか……細かいことはなにも覚えていない。

 ただ、こどもの日の少し前、四月の終わりに、ベランダに出てこいのぼりを立てる父の背中はぼんやりと浮かぶ。ポロシャツのときもあれば柄のついたシャツのときもあるし、半袖の丸首シャツ一枚の背中が思い浮かぶこともある。毎年の記憶が積み重なったのだと私は思っているが、姉に言わせれば「洋ちゃんが勝手に想像して、思い出にしてるだけなんじゃないの?」――あんがい、そうかもしれない。

 それでも、この記憶は間違いないと断言できる年が、一つだけあった。

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 我が家は四階建ての棟の三階だった。ベランダからは、整列したように同じ向きに並んだ隣の棟が見える。その先に、子どもたちに団地タワーと呼ばれていた給水塔の頭が覗(のぞ)く。

 父はベランダで、こいのぼりを立てていた。部屋の中にいると照り返しがまぶしかった。天気が良くて、四月の終わりにしては暑かったのだろう、父は長袖のシャツを肘(ひじ)までめくり上げていた。

 部屋の中でポールに鯉(こい)を繫(つな)ぐところまでは私も手伝ったが、ベランダのフェンスに結わえるのは父が一人でやった。荷造り用の紐(ひも)でポールをフェンスにしっかり縛り付けておかないと、風に煽(あお)られてはずれてしまう。力が要るし、ベランダは狭い。私が一緒だと、かえって足手まといなのだ。

 代わりに私はヤカンを手にベランダと台所を何往復もして、重石(おもし)にする一斗缶に水を入れた。一斗缶に紐を巻きつけてポールと繫ぎ、たとえ紐がほどけても飛んでいかないようにする。それでも、心配性の母は、雨の日や風の強い日には、洗濯物を取り込むように鯉や吹き流しをいちいちはずしていたものだった。

 最近の小さなサイズのこいのぼりには、たいがい取り付け用の金具もセットになっている。昔はそこまでの配慮はなかったということだろうか。もしかしたら――いまにして思うのだが、あのこいのぼりは、ほんとうは室内用だったのかもしれない。

 作業が一段落すると、父は掃き出し窓の敷居に座り込み、外の風にあたりながら煙草(たばこ)を吸った。父は喫煙者だった。ヘビースモーカーだったのかどうかは、煙草を吸わない私にはいまでも見当がつかないが、いつもシャツの胸ポケットに入っていたハイライトのパッケージの青い色は、子ども心にも印象深く残っている。

 あの日、父は私に背中を向け、外を眺めて一服した。灰皿をそばに持って来ていたのかどうか。吸い殻はゴム草履で踏んで、そのまま、だったような気がする。

 そんな父の肩越しに給水塔を眺めて、私は言ったのだ。「団地タワーって、太陽の塔よりも高い?」

 一九七〇年。昭和四五年。私は…

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