【動画】作家の重松清さんが自然葬のできるカズラ島を訪ねた=高津祐典撮影
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 団塊の世代が高齢化し、「多死社会」が到来する。過疎化や未婚化といった社会の急激な変容は、墓を荒廃させ、弔いのあり方にも影響を及ぼしている。作家、重松清さんが自然葬の島を歩いた。

 隠岐諸島に位置する人口2300人弱の海士(あま)町、菱浦港が集合場所だ。船で10分ほど渡った先にカズラ島(じま)がある。千平方メートルほどの無人島。この時期だけかけられる、いかだのような簡易な桟橋から上がる。先月5日、参加する2組に同行させてもらった。

 風が木々を揺らしている。踏み固められることのない土は歩くとふわふわと軟らかい。木漏れ日に包まれ、樹木のすき間からは海の青が目に入る。

 埼玉県から3世代7人で訪れた女性(64)が、リュックの底から夫の遺骨を取り出した。粉状になった遺骨を指示された場所にまき、ビールをかける。夫は50歳で亡くなった。遺影を置き、手を合わせる。

 夫とは生前に相談していたという。分家で墓はない。しかし買う必要があるだろうか。子どもたちに面倒を見させるのか。海洋葬も考えたが、お参りする場所がほしいから、と海ではなく島を選んだ。散骨に眉をひそめる親族もいた。それでも、「暗く冷たい土の下は嫌だなあと言う主人の声がね、何度も浮かぶんですよ」。13回忌を終えて、心が決まったという。

 少し離れて、重松さんは一家を見つめていた。「遺骨が真っ白できれいだなあと感じました。まいたそばから葉が落ち、虫が歩く。この瞬間から森の中に溶け込んでいる。風が吹けば飛び散り、雨が降れば地面に染みて溶けてなくなる。自然に溶けていく、というイメージを抱きました」

 重松さん自身、2年前に父を亡くした。年に何度か岡山に帰郷して母を墓参に連れてゆく。「僕の中では、生きていたときよりも死んでからの方がおやじが身近になった。おやじという存在が僕のなかに溶けている感じがする。人が死んで形なきものになるとき、残された人の記憶に溶け、この世界に溶けていくんだと感じます」

 首都圏からは飛行機とフェリーを乗り継ぎ、片道だけで1日がかりの「弔い」になる。散骨を終えて港に戻った女性の表情はすっきりしていた。気丈に振る舞いながらも、仏壇の骨つぼを見つめて「生きてたらなぁ」とつぶやく母の背中を何度も見ていた、と次男(28)は言う。「父に先立たれたさびしさを埋め合わせるため、母には大がかりなイベントが必要だったのかなと思います」

 カズラ島での自然葬は、東京都板橋区の戸田葬祭サービスが地元の自治体の協力を得て、2008年から始めた。散骨は春と秋。対岸の海士町に設けた慰霊所からは年中、島を望むことができる。

 島の環境を守るため、事前に粉骨の状態にし、散骨場所は各回でずらして土にかえる時間をつくることを決めている。島は大山隠岐国立公園内にあり、今後も人の手が入ることはない。

 松江から一人で訪れた男性(80)は、7年前に妻を亡くし、カズラ島に散骨した。この木の下あたりだよ、と指してくれた。年に2度、お参りに島に渡るという。子どもはなく、きょうだいや親戚もいない。「夫婦2人きりだったから、寺にも迷惑をかけるだろうとお墓じまいをしました。先祖代々のお墓は残す方が大変だ」。自身の自然葬も、生前契約済みだ。「これで何の心配もない」

 1990年の国の調査では、散骨を「葬法として認めるべきではない」という回答が半数を超えた。2009年、第一生命経済研究所の小谷みどりさんによる調査では、「(自分が死んだら)遺骨は全部まいてもらいたい」「一部だけまいてもらいたい」があわせて3割近くに上った。

 散骨への意識の変化の背景には、従来の葬式や埋葬が成り立たなくなっている現実がある。1980年まで65歳以上の半分は3世代同居で、家族のつながりは深く、近所づきあいもあった。今、死亡年齢の高齢化、核家族化、地域社会の崩壊、未婚率の上昇などにより、弔う人がいなくなりつつある。孤独死や無縁墓の増加も顕著だ。

 「死んでまで娘たちに面倒かけたくないなと僕も思う」と重松さん。「当たり前のように受け入れてきたものが、現実的に受け入れられなくなりつつある。その最たるものが、お墓や弔いの問題でしょう。お墓の問題に直面し、それにあわせて僕たちの死生観が問い直されているのだと感じます」(中村真理子)

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 しげまつ・きよし 1963年、岡山県生まれ。『ビタミンF』で直木賞。『エイジ』『流星ワゴン』『十字架』など。