[PR]

 巨人の長嶋茂雄が引退した1974年。この夏、甲子園行きを決めたのは盈進。当時1年ながらメンバー入りした中山泰彦(59)が目の当たりにしたのは、同学年のスター選手だった。「とにかくでかい」相手から刺激を受け、発奮した。

 盈進のエース山口雅士は、制球力と、途中でためを作るような変則的なフォームで相手打線をてこずらせた。チームは14年ぶり2度目の広島大会優勝を果たす。

 中山は当時、身長163センチ、体重57キロ。小柄ながら守備力や足の速さ、打撃センスが評価され、入学からわずか4カ月で三塁手として甲子園の土を踏んだ。

 初戦の2回戦は、山口の投球がさえ、名古屋電工(現・愛工大名電、愛知)に2―1で勝利。中山も中前安打で出塁し、足も絡めて生還。守っては三遊間や三塁線への鋭い打球を捕らえ、球場を沸かせた。

 3回戦は8月16日。スタンドを5万人の大観衆が埋めた。相手の東海大相模(神奈川)は、1年の原辰徳と父で監督の貢が「親子鷹(おやこだか)」として注目された。

 二回、原辰徳は初打席で、強烈な中越え三塁打を放った。打球はワンバウンドしてフェンスに達した。俊足で、余裕をもって中山が守る三塁に滑り込んできた。

 バランスのいい体つきで、背は中山より20センチほど高く、ベース上に立つとさらに大きく見えた。「こういう選手と対等に戦っていくには、もっと努力しないとやっていけん」

 3点を追う四回、先頭打者の岡本浩男の内野安打に四球を絡め、中軸の3連打で逆転。ベンチは「まだ行ける!」と盛り上がった。しかし山口が相手打線に捕まり、継投も功を奏さず、点差は開いていった。

     ◇

 甲子園から帰っても、原辰徳のことは強く印象に残っていた。パワーヒッターぶりを目標のように感じる一方、「負けたくない」とも思った。

 「小さい選手が戦うには、パワーをつけないといけない」と、とにかく食べた。麺を4、5玉入れた直径50センチのお好み焼き、焼き肉は5~6人前。この年の冬、体重は65キロに増えた。

 チームには甲子園経験者も多く残っており、1学年下には後に広島カープへ入団する左腕・田辺繁文もいた。投打を兼ね備えたチームだったが、「2度目の甲子園」は遠かった。

 中山は引退後、本格的なウェートトレーニングに打ち込んだ。専修大野球部を経て、社会人野球チームの広島マツダで活躍。積み重ねたトレーニングが生き、3、4番打者を任せられる強打者になった。

 やがてチームは休部し、89年からは10年以上にわたり母校、盈進で監督を務めた。原辰徳は2015年に巨人の監督をひき、ユニホームを脱いだが、中山は今も盈進中学野球部の総監督として、グラウンドに立つ。

 自身は選手時代、厳しく叱咤(しった)され、鍛えられてきた。しかし今は、部員たちを褒めて伸ばすようにしている。「まずは野球を好きになり、好きになったら末永く野球に携われるようにしてあげたい」。自らの野球人生を振り返り、そう言った。

 =敬称略(橋本拓樹)

こんなニュースも