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智弁学園8―6PL学園

 1995年、夏の甲子園準々決勝。智弁学園が初めて4強進出を決めた。活躍したのは、3番打者の左翼手西川誉(たかし)、そして七回から継投した木挽(こびき)幸弘だ。相手は強力打線のPL学園(大阪)。地方大会で7本塁打を放った主将の福留孝介(現阪神)を最後に併殺に打ち取っての勝利だった。

 智弁は一回裏、相手の守備のミスなどもあり、無安打で3点を奪った。二回にも2点適時打が飛び出すなど3点を奪い、6―1とPLを引き離した。

 しかし、直後の三回表、PLが反撃を開始する。1死満塁、6番打者の飛球は外野へ。打ち取ったかに見えた。

 左翼手の西川がゆっくりと捕球に向かい始めたそのとき、芝生にまいてあった砂に足を滑らせた。打球は西川の前に落ちた。

 中堅手がカバーしたが、その間に2人の走者が生還。記録は中前安打。その後も犠飛と連続適時打で計5失点。同点に追いつかれた。

 流れが一気にPLに傾いた。甲子園球場の4万8千人の観衆が沸いた。

 四回裏1死満塁で、西川が打席に立った。足を滑らせた責任を感じていた。一方、「ここで打ったらヒーローやなとか気楽に考えていました。逆に開き直れたのがよかった」と振り返る。

 初球の外角の直球を振り抜くと、打球は左翼線へ伸びる。走者2人がかえり、勝ち越しの適時打に。西川は一塁上でガッツポーズを見せた。

 五回以降、両チームともなかなか得点が入らず、緊迫した展開に。

 七回からは、木挽が登板した。得意のスライダーとカーブを使い、相手打線を翻弄(ほんろう)。2点のリードを守り続けた。

 九回表のPLの攻撃。1死一塁の場面で、ここまで3打数3安打と好調の4番福留が打席に。

 智弁側がタイムをとり、選手たちがマウンドに集まった。伝令が来た。監督の指示は「敬遠」。

 選手たちは「最悪本塁打が出ても、同点。ここは勝負せんとあかんとこやろ」。意見が一致した。

 「勝負します」。木挽は、監督への言葉を伝令に託した。

 1ボール1ストライクで迎えた3球目。スライダーを外角に投げた。併殺を狙った球だ。

 大きく跳ねた打球は遊撃手の元へ。捕球後、二塁ベースをそのまま踏み、一塁に投げた。狙い通りの併殺。球場がどよめいた。

 木挽はこの時のことを「日本一のバッターにどこまで通用するか楽しみだった。何とか抑えられてほっとした」と語る。

 試合終了の瞬間、木挽は大きくジャンプして喜びを爆発させた。駆け寄る選手たちは、優勝したかのように喜んだ。=敬称略(桜井健至)

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