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 第100回全国高校野球選手権島根大会が開幕する。福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手(37)は、浜田高校時代に第79、80回大会で甲子園に出場した。甲子園を目指し、仲間とひたむきに努力した思い出や、島根の球児たちへのメッセージを聞いた。

 野球を始めたのは小学1年のとき。ユニホームを着て、打って投げて走って。純粋に楽しかったです。小学6年になる春に愛知県から出雲市に来ました。中学校は公立の軟式野球部。3年間、市総体で敗退し、県総体には一度も出ていません。強豪校から誘われるなんてまったくありませんでした。

 高校に進むときも、プロ野球選手を目指す気持ちはマイナス100%。0にも満たなかった。浜田高校を選んだのは、新田均監督(現・島根中央高校監督)が前任の大社高校を甲子園に導いていたことが大きかったですね。

 新田監督は厳しかったです。鬼だと思っていました。口癖は「成せば成る」。監督が「絶対に勝てる」と言ったら、不思議と選手たちも「そうなのかな」と。そういう信頼がありました。

 監督の家に泊まり込んで生活したことがあります。島根大会で一回戦負けだった高校1年の時、寮が閉まった夏休みの1カ月間、同期の選手と2人で。朝は監督の車で学校に練習に行き、帰りは途中で下ろされて、2人で走って帰る。毎日、「夏休み早く終われ」と思っていました。今では良い思い出です。

 島根大会では、2年の時の矢上高校との決勝が印象的です。優勝候補筆頭の相手に、先発で九回まで投げました。2―1の九回裏、僕の最後の一球は、直球が高めに抜けた。ぼてぼてのセカンドゴロになり、走者がヘッドスライディングして、アウトに。信じられなかったです。「甲子園で野球ができるんだ」と夢みたいでした。

 甲子園で印象に残っているのは3年の時の帝京(東京)戦です。優勝候補で、整列したとき「本当に高校生?」と思うくらい皆、体がでかかった。ひちょり(森本稀哲、日本ハム―横浜―西武)にバックスクリーンに本塁打を打たれたのは強烈に覚えています。同点に追いつかれたので、マウンドに選手が集まり円陣を組みましたが、「すごい打球だったなあ」「ここまで同点なのがむしろすごくね?」という空気で、不思議と焦りがなかった。だからこそ、すぐに1点を返し、勝つことができたのだと思います。

 甲子園で共に戦った仲間は一生付き合える仲間です。甲子園という不思議な力が出る場で試合をし、成長できました。

 プロを目指すと決めたのは大学2年の時。その後も挑戦していく上で、新田監督の教えの「成せば成る」は原点です。「甲子園出場」のように、目標を掲げて「絶対できる」と一生懸命努力するのは当時から変わらない。強く思わない限り実現できないですし、大切なのは、「どれだけの強さで思うか」だと思います。

 今年、島根大会に出場する選手たちは皆、野球に没頭してきたと思います。特に、3年生にとっては最後の大会。一生懸命やってきた思いをぶつけて、「本当に良い2年半だった」と言えるような大会にしてほしいです。(聞き手・浪間新太)

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 わだ・つよし 1981年生まれ。ソフトバンク投手。浜田高校の2、3年時に夏の甲子園に出場し、3年時は8強。早大で、東京六大学リーグ記録の476奪三振。2003年にダイエー(現・ソフトバンク)入団。大リーグでも活躍し、16年にソフトバンク復帰。最多勝2回。

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