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 日本勢が史上最多13個のメダルを獲得した平昌(ピョンチャン)五輪から、約3カ月。スノーボードの女子日本代表、広野あさみ(TJR)が競技会から当面距離を置くことを決めた。スノボを始めたのは高校卒業後という異色のオリンピアンが、しばらくの休息に入る。

 「疲れちゃったというか。次、もう一度同じことをやるのかと思うと、ほとんど恐怖。考えたくもない感じがある。それくらい平昌のために全力を尽くしたつもりなので」。広野は時折苦笑いを浮かべて、休養を決めた経緯を明かした。

 「結果はダメでしたけど……」と本人が振り返る通り、五輪での成績は振るわなかった。スロープスタイルは後半の空中技で転倒し、12位。ビッグエアでも転倒して24位に終わった。

 ただ、決して不完全燃焼だったわけではない。「怖がらずに、攻めた結果。全部出し切ったし、やりきった感じはすごくある」。子どもの時はピアノの発表会で演奏が止まってしまうほどのあがり症だった。が、「五輪では自分を信じて、攻められた。自分をほめてやりたい」。

 大会後、「疲れちゃった」のには理由がある。何しろ、スノボを本格的に始めたのは18歳の春だ。高校1年の学校行事で初めてスノボを滑った時のことを今でも覚えている。インストラクターが「君、センスあるね」と言ってくれたことが忘れられなくて、経験ほぼゼロのままウィンタースポーツの専門学校へ。以来、「今からやっても、五輪なんて無理」という周囲の冷笑を歯を食いしばって跳ね返してきた。たった9年で五輪の舞台まではい上がるために、「本当に、これ以上できないくらい努力しました」。

 五輪で思うような結果は残せなかったが、他の選手にはないものを残した自負はある。「高校生の時は、ただの頭の悪いギャルでした。何がやりたいのか分からなくて、進路希望も『どうしよう』って感じ。でも、人生何が起こるか分からない。挑戦することの面白さを示せたような気はします」。五輪後、SNSを通じて高校生から相談が寄せられるという。「私も、今からでも間に合いますか?」。そんな問いかけに、広野は「もちろんです」と返している。

 当面は、人生を変えたスノボの普及のために、イベントや小中学校での講演会を通じて魅力を発信していくつもりだという。「何かに挑戦し続けたいなっていうのはあるんです。それが4年後の北京五輪なのか、どうか。種目も含めて、どうするか。ちょっと時間を下さい」(吉永岳央)