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松本サリン事件

 教団は「真理党」を結成し、90年2月の衆院選は松本死刑囚ら25人の教団幹部が立候補したが、惨敗した。これを機に教団の「武装化」が進んだとされる。

 松本死刑囚は同年4月ごろ、幹部らを集めて「全世界にボツリヌス菌をまく」と無差別大量殺人の計画を宣言。92年3月には自動小銃、93年6月ごろには化学兵器のサリンの製造を始めるよう幹部に指示した。教団は同年8月ごろ、サリンの生成に成功し、上九一色村でサリン製造プラントの建設に着手した。

 松本死刑囚はサリンを使って創価学会の池田大作名誉会長を暗殺するよう指示したが思い通りにいかず、94年5月には教団を批判していた滝本太郎弁護士の車に噴霧したが、狙ったような効果を得られなかった。次に標的となったのが、長野地裁松本支部の裁判官だった。

 松本市では支部道場建設をめぐって教団と住民が対立し、訴訟となっていた。地裁支部は仮処分で住民側の訴えの一部を認めており、訴訟でも教団が負ける可能性があった。

 松本死刑囚は判決直前の94年6月ごろ、サリンの実験を兼ねて裁判官たちの殺害を決意。教団幹部7人が同月27日深夜、裁判官官舎から約30メートルの駐車場で改造した「噴霧車」から、加熱して気化させたサリンを送風機でまいた。

 裁判官官舎で死者は出なかったが、周辺に住んでいた19~53歳の住民7人が死亡し、約600人の重軽症者が出た。重症者のうち、河野(こうの)澄子さんは意識不明の状態が回復しないままサリン中毒によって2008年8月、60歳で亡くなり、死者は8人となった。

 この事件で長野県警は河野さんの自宅を被疑者不詳のまま、殺人容疑で捜索。第1通報者だった河野さんの夫の義行さんを犯人視する報道も続き、事件報道のあり方も大きな議論を呼んだ。