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地下鉄サリン事件

 警察当局は次第に、教団とサリンの関係に注目していった。94年秋には教団施設の付近の土壌を採取し、サリンの残留物を確認。95年1月に読売新聞がこのことを報じると、教団はサリンプラントの偽装工作を進めた。一方、同年2月には出家をめぐって教団とトラブルになっていた、信徒の兄で目黒公証役場事務長の仮谷清志さんを東京の路上で拉致し、警視庁が捜査に乗り出した。

 教団に対する捜査の可能性が報じられる中、松本死刑囚は同年3月18日、東京から上九一色村に向かうリムジンの中で教団幹部と相談。東京の地下鉄にサリンをまくことが提案され、松本死刑囚は「それはパニックになるかもしれない」と述べ、実行を指示した。

 幹部らは、教団に残っていたサリンの中間生成物を使ってサリンを製造。5人の散布役が同月20日朝、東京の霞ケ関駅に向かう日比谷線、千代田線、丸ノ内線の計5車両に分乗し、計11個のサリン入りポリ袋をとがらせた傘の先で突いて車内にまいた。乗客やポリ袋を片付けていた霞ケ関駅の男性助役ら21~92歳の13人が死亡し、6千人以上が負傷する未曽有のテロ事件となった。

 警視庁などは同月22日、仮谷さんの拉致事件で教団施設の一斉捜索に乗り出した。サリンを警戒し、警察官たちは防護服をまとい、毒ガス検知用にカナリアも持参した。地下鉄事件の捜査は当初難航したが、別件で逮捕されていた散布役の一人、林郁夫受刑者=無期懲役が確定=が関与を自供。これをきっかけに5月16日、上九一色村の教団施設に潜伏していた松本死刑囚が逮捕された。林受刑者は裁判でも自首が認められ、散布役の中で1人だけ、死刑を免れた。

 地下鉄事件は被害の全容が長く明らかでなかった。刑事裁判では12人の殺害が審理対象となったが、警察庁は2010年、「サリンの影響は否定できない」として13人目の死者を認定。傷病や後遺障害を負った人は約6300人にのぼった、という調査結果も初めて公表した。