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 第100回全国高校野球選手権記念茨城大会が7日、開幕した。社会人野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の選手兼監督の片岡安祐美さん(31)は、男子とともに甲子園を目指した元高校球児。試合に出られなくても高校野球を続けられた理由や、球児へのメッセージを聞いた。

 ――高校に進学した時、なぜ女子野球部やソフトボール部ではなく男子の野球部を選んだんですか。

 甲子園に行きたかったんです。父が野球好きで、物心ついた時からテレビで甲子園を見ていました。中学3年の時、父に卒業旅行で、甲子園に連れてってもらいました。スタンドの出入り口から見渡す神々しい球場の景色、地鳴りのような大歓声――。感じたことのない感情を抱きました。「あぁ、フェンスをよじ登ってグラウンドに立ちたい!」って。

 日本高校野球連盟の規定で、女子は甲子園に立てないとは知っていたけど、あきらめられなくて。「規定を変えてやる」ぐらいの気持ちで、男子の野球部に入ることを決めました。

 ――3年間、補欠でもいいと思ったんですか。

 人と考え方が違うかも知れませんけど、私には「補欠」という考え方はなくて、私は「私のするべき野球をしている」と考えていました。

 例えば、球場の雰囲気を作り出すのは大声で応援しているスタンドの選手たちにしかできません。バット引き一つにしたって、試合を左右するかもしれない動きになりうる。グラウンドかスタンドか、立っている場所は違うけれど、その場、その時で自分たちのやるべき野球があるはずです。

 ――心は折れませんでしたか。

 折れまくりです(笑)。小学校、中学校では必ずベンチ入りしていて、高校で初めて背番号がもらえない悔しさを味わいました。「これがずっと続くのか」って。練習試合も、基本的に相手チームに了承をもらわないと出してもらえませんでした。対外試合は3年間で10試合も出ていないですね。1打席、1イニングの守備固めで出るぐらいでした。

 ――何をモチベーションにしていたんですか。

 「チームが甲子園に行くには」ということを考え続けていました。2年の秋に、監督から「お前をベンチに入れるためにスコアをつけてくれ」と言われたんです。その時から、私の定位置は監督の横。そしたら、「あいつは振りが弱い」とか「もっと走らないと」とかつぶやくんですよ。それをメンバーに伝える。監督とチームをつなぐ役割でした。

 あとはチームの底上げというか、「女の安祐美が頑張っているんだから、俺らも頑張らないと」と思ってもらえるよう、全力を尽くすことを心がけていました。

 ――結局、県大会で負けて甲子園に行けませんでした。

 私は女子野球の世界大会があったので、1回戦が終わるとチームから離脱しました。4回戦の後、遠征先から父に電話して、「負けたよ」と聞き、夢が途絶えたと泣きじゃくりました。

 しばらくして高校に帰ったら、監督が最後のミーティングを待っててくれた。その時、私が使っていたバットをチームメートが使って、二塁打やタイムリー安打を打ってくれたのを知りました。

 結局、甲子園には行けなかったけど、素晴らしい仲間とともに時間を過ごせて、普通の女子生徒ではできない経験をさせてもらった。高校野球って素晴らしいなって思った。

 ――球児たちにエールをお願いします。

 1回大会から多くの人が携わって、100回大会まで続けてこられた高校野球。新たな歴史の始まりは今大会に立つ高校球児のみなさんです。気づいていない力を発揮させてくれる舞台。全力でやり切ってください。皆さんの活躍を、私も必ず見に行きます!(聞き手・笹山大志)

     ◇

 1986年、熊本市生まれ。小学校の頃に野球を始める。中学3年で女子野球日本代表に選ばれた。高校時代、熊本商で男子に交じり硬式野球部に所属。卒業後、タレントの萩本欽一さんが当時監督だった社会人野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」に選手として入団し、2011年からは監督も兼任する。タレントとしても活躍中。