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 1969年夏の第51回大会決勝、三沢と強豪・松山商の2日間に渡る熱戦は、青森だけでなく日本中を釘付けにした。

 三沢のエース・太田幸司さん(66)の球を主将だった河村真さん(67)は「あまり曲がらないカーブとまっすぐだけだが、これがものすごく速かった」と振り返る。県内の他校では軟式用のグラブや竹バットを使う選手もいる中、米軍基地が近いことで、野球道具の調達もスムーズで競技環境には恵まれていた。

 だが68年春の県大会決勝の八戸工戦は、延長の末に一塁手の菊池弘義さん(66)の痛恨の落球で敗れた。雨で眼鏡が曇っていたため「眼鏡にワイパーでもつけとけ」と仲間になじられた。「あの『ワイパー』が悔しくて猛練習した。あそこから僕らの本当の甲子園への道が始まった」。

 その後68年の選手権、翌69年選抜と続けて出場し、いずれも初戦は勝ったが2回戦で敗退。最後の夏は「甲子園で2勝」が目標となった。69年夏、県大会決勝で太田さんが無安打無得点試合を達成して甲子園へ。その勢いのまま勝ち進み、「2勝」どころかついに決勝へと駒を進めた。

 松山商の先発はエース・井上明投手(3年)。三塁手の桃井久男さん(67)は「打てない投手ではない」と感じていたが、三沢は制球の良い井上投手を打ちあぐねた。一方の太田さんも初回に2四球を与えたが、尻上がりに調子を上げ松山商に連打を許さない。スコアボードに「0」が並び、ついに延長に突入した。

 太田さんは「日々500球は投げ込んでいたから、体力に自信はあった」。一方、捕手の小比類巻英秋さん(66)は「必死なのは太田じゃなくてこっちだった」と、豆だらけの手で豪速球を必死に受け続けた。

 十五回裏、三沢に好機が訪れた。1死満塁、9番立花五雄選手(3年)のカウントは3ボール。ベンチから出された指示は四球を狙って「待て」。緊張感漂う中、4球目は真ん中のストライク。5球目、真ん中低めの球に、三塁コーチの河村さんは「押し出しだ、勝った!」と心の中で叫んだ。

 しかし主審の判定はストライクでフルカウントに。6球目、振り抜いた打球は井上投手のグラブをはじいて遊撃手の正面に落ちた。三塁走者の菊池さんは、頭から思い切り本塁へ突っ込む。眼鏡が外れた顔を上げると、主審の右腕が上がった。「アウト!」

 「押し出しを待つか打つか、あそこで迷ったのが伝統校との差」と桃井さん。菊池さんも「一瞬出だしが遅れた。たった一歩の遅れだが、勝ち負けはその一歩で決まる」。次打者も中飛に倒れ、延長戦は続いた。(板倉大地)

     ◇

1969年 第51回決勝

松山商 000000000000000000|0

三 沢 000000000000000000|0

(延長18回引き分け)

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