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 埼玉西武ライオンズの炭谷銀仁朗捕手(30)は、京都市下京区の平安(現龍谷大平安)では主将だった。ゴールデングラブ賞を2回受賞し、労組日本プロ野球選手会長を務め、球界を代表する選手に成長。甲子園に出られなかった悔しさ、負けてたまるかという気持ちは今も忘れられない。

 ――平安野球部の主将としてプレッシャーはありましたか。

 平安は伝統校。ぼくが主将だったときは周りから「弱い代」と言われていました。なんとか勝たなあかん。その思いでいっぱいでした。

 その第87回(2005年)の京都大会の準決勝で、優勝した京都外大西に2―3で敗れました。あんなに努力したのに。そう思うと今でも悔しい。

 ――どんな練習をしてきましたか。

 本当に厳しくて、すべてが大変でした。亀岡市のグラウンドから学校に戻るのが夜9時くらい。それから自主練習。帰宅は遅いときで11時くらいでした。

 1年秋からレギュラー捕手になりました。でも、一つ上のエース、服部大輔さんのスライダーが捕れず、2年生のときは三塁手に代えられました。きつくてしょっちゅう辞めたいと思っていました。

 ――なにが支えになったのですか。

 小さいころからプロになりたいと思ってやってきたのに、やめたらどうなるんやろ。そう思ったら踏ん張れました。

 「こだわりをもて」。原田英彦監督につねに言われていました。守備練習での捕球後の送球にしても、どこに投げ、どうしたいのか、1球ずつしっかり考えろと。帽子のつばの裏にも「こだわり」と書き、ときどきそれを見ながら練習していました。それで試合でのミスが減りました。

 ――第1打席に立つとき「負けてたまるか」を連呼する曲がかかりますね。

 平安野球部出身の歌手、佐々木清次(せいじ)さん(54)の曲です。高校時代、学校に来て歌ってくれて心に響きました。ぼくの原点である高校時代を思い出し、また一から頑張るぞ。そんな思いを込め、使わせていただいています。

 夏の高校野球大会は1回勝負。気持ちの面がものすごく大事。「負けてたまるか」。みんながそう思って、支え合って頑張ってほしい。(聞き手・興津洋樹)

     ◇

 すみたに・ぎんじろう 京都市生まれ。平安の主将を務めた第87回京都大会では、大会記録の4本塁打を放った。2005年の高校生ドラフトで、西武から1巡目で指名された。16~17年に西武の選手会長を経験。13、17年のワールド・ベースボール・クラシックにも出場した。

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