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 19年前の夏、群馬県勢初の全国制覇を成し遂げた桐生第一のエースだった正田樹投手(36)。独立リーグでプレーを続けながら、今も向上心を持ち続ける。そんな先達に、高校時代の練習の取り組みや、長い選手生活から得たものを聞いた。

 ――群馬県勢として初優勝し、正田投手も全国的に注目を浴びました。最初から自信はありましたか

 いや、全然です。当初の目標は何とか1勝。前年の夏の甲子園では、先輩たちが開幕試合で明徳義塾(高知)に負けました。僕らも開幕日の試合だったので、また初日で帰るのだけはやめようという気持ちでした。あまり全国でどうとかはありませんでした。

 ――甲子園では絶対的エースとして計6試合をほぼ1人で投げ、最後は4日連続で登板しました

 決勝の前日は手のひらがまめだらけで、決勝はどうかという状態でした。決勝は初回に先取されますが、ベースカバーに行ってマウンドに戻ったとき、「さすがにきついかな」と思いました。球速と球のキレも落ちていました。

 ――どうして乗り越えられたのですか

 高校に入ってから積み上げてきた日々の練習のおかげです。本当に野球漬けでしたね。それが自信になっていたと思います。

 ――高校時代の練習の取り組み方を教えて下さい

 声を常に一生懸命出していました。2年の夏が終わってからは、球速など自分に足りないところを考え、最後の夏はどういう姿でいたいかをイメージしながら練習していました。

 ――高校卒業後、プロ野球(NPB)・日本ハムに入団。3年目には新人王を獲得します。ですが、その後は成績で苦しみます

 思うようにいかなかったですね。若いころは、自分はこうやるんだというものがなかった。もっと自分自身を分析し、考えることが必要だったと思います。

 ――その後、台湾でもプレーします

 言葉も通じない、いつクビになるかもわからない緊張感の中、投球フォーム、体のケア、練習方法などを自分で考えて取り組みました。若いころの投球は勢いだけで、調子の悪いときになかなか修正できませんでしたが、修正力や対応力が身につきました。

 ――独立リーグでは生活や設備の面で苦労はありませんか

 ないですね。初めて台湾に行ったとき、競技環境や食事の面でNPBと比べてしまったところがあって。台湾では大変なマウンドで投げたこともあります。ドミニカのウィンターリーグにも参加しました。そういった経験が後々に生きている。ないものを気にしていてもしょうがないですし、長年の経験で身についた対応力で今もやれています。

 ――長い現役生活で、投球で変わってきたところはありますか

 台湾に行ってシンカーを習得して、投球の幅が広がりました。今は自分の投球に欠かせない球です。カウントを取れ、勝負球にも使えます。ひじが痛くて全力で直球が投げられないとき、少し腕の使い方を変えてみたらはまりましたね。愛媛に来てからは、20代のころは思うようにいかなかったフォークも投げられるようになりました。

 昔は配球一つでも、捕手の意図をどこまで考えられていたか。今は、様々な場所でプレーし、多くの人と出会い、どういう意図で一球一球を投げるのかを学びました。昔より、投球ってどういうものかという野球の楽しさを感じています。

 ――投手としての探究心、向上心がずっとあるのですね

 もっと投球をよくしたい、もっとうまくなりたいです。今、若い選手と一緒にやっていますけど、投げる球を見て教わることもたくさんあります。

 ――NPB復帰は今もめざしていますか

 もちろん。一つでも高いレベルをめざしています。ここでやっている若い選手と同じように、上をめざす気持ちは変わらないです。

 ――今、チームで最年長です。プレーし続けるのはどうしてですか

 野球が好きというのが一番ですよね。ただ、選手としてプレーしたいというのが強いです。試合に向けて一つひとつ準備して、試合で結果が出たらうれしいですし、また頑張ろうとなります。そういうのが好きなんです。

 ――周囲の反応はいかがですか

 「もういいんじゃないか」と言われることもあります。でも、そんなの気にしてもしょうがない。人の評価に自分が流されないよう、常にぶれない自分でいたい。自分がやりたいかやりたくないか。自分の基準で行動していきたいです。

 ――最後に、この夏に臨む球児たちへメッセージをお願いします

 3年生は最後の大会になるので、ゲームセットの瞬間まで思い切りやってもらいたいです。勝ち残るのは1チームしかないですが、勝とうが負けようが、どう自分の高校野球生活を締めくくれるか、悔いのないようプレーしてください。(聞き手・丹野宗丈)

 しょうだ・いつき 1981年、群馬県太田市出身。桐生第一のエースとして、99年の第81回全国選手権で県勢初の優勝。初戦の比叡山(滋賀)戦で毎回奪三振を記録するなどの活躍で甲子園を沸かせた。日本ハムにドラフト1位で入団し、2002年に9勝を挙げて新人王。台湾球界などを挟み、阪神、ヤクルトでもプレー。14年から四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属。15年に年間MVP、14、15、17年は最優秀防御率のタイトルを獲得した。身長188センチ、体重88キロ、左投げ左打ち。