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 主役は、たった一つの丸い球。それをめぐり、人は一喜一憂する。

 サッカーには、人を動かす力がある。時として極端に振れ、戦争の一因になったことすらある。選手に人種差別の発言を浴びせるほど、人の心をささくれさせるものにもなる。

 ロシアで初のワールドカップ(W杯)。多くの民族が共存する、この国で行われる祭典だからこそ、サッカーの持つ魔法の力に期待したいことがある。

 人種差別撲滅への闘いだ。

 それは、今年3月に起こった。サンクトペテルブルクでの国際親善試合ロシア―フランス戦。ロシアのサポーターの一団が、アフリカにルーツを持つフランス選手のMFポグバ、MFデンベレに差別を意味する歌、かけ声を浴びせた。国際サッカー連盟(FIFA)が調査に乗りだし、すぐさまロシア協会に罰金を科した。W杯開催国としては恥ずべき事態だった。

 首都モスクワを歩けば、ロシア系だけでなく、コーカサス出身者もいれば、アジア系、シベリア極東系も少なくない。ロシアにはイスラム教徒が約2割いる。多様な価値観の中で人々は生きていると感じる。ただ、ことサッカーになると、人種、肌の色などで人をおとしめる行為が、今なお一部の過激なファンの間で横行する。

 かつてロシアでの試合で差別を受けたコートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレの言葉が響く。「猿の鳴きまね、侮辱の声を聞くと、プレーを続けたくても、そこにいることは難しい」。欧州サッカーの差別状況を調べる市民団体「FARE」の調査だけでも、ロシアのプロリーグなどでは2015~16年で101回、16~17年で89回の差別的な言動が確認されている。

 ロシア政府は差別への罰則を厳しくし、W杯組織委は競技場の監視カメラの数を増やすなど取り締まりを強化する。W杯で会場に入るための身分証明書にはロシア語でこう書かれている。スカジィ・ニエット・ラシズムゥ(人種差別にノー)――。

 いくつもの文化の融合が、チームを強くする。多民族国家のブラジルは最多5回の優勝を誇り、1998年大会ではフランスがアルジェリア系のMFジダンらの活躍で優勝し、「国民統合の象徴」とたたえられた。選手の国際移籍が盛んになり、より多くの民族、文化が混じり合い、サッカーは進化を続けている。

 ロシア代表の元主将で、差別撲滅に取り組むアレクセイ・スメルチンさん(43)はいう。「W杯はロシアの魅力を世界に紹介するきっかけになるし、国内にもサッカーの良さを再び知らせる機会になる」

 サッカーがすべてを変えられるわけではない。でも、人の心を動かす推進力になれる。それを生み出す物語の序章が、このルジニキ競技場で幕を開けた。(河野正樹