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 「一塁コーチをやってもらいたい」。1991年夏、山梨大会を前に、甲府工高3年の石丸慎君は原初也監督から告げられた。

 前年90年に甲子園出場を果たし、優勝候補だった甲府工。石丸君は中学時代にエースとして活躍し、原監督に誘われて入学した。監督の家に下宿し、甲子園を夢見る日々。しかし、肩を壊し、結果を出せないまま最後の夏を迎えていた。

 原監督は一塁コーチに石丸君を指名した。肩の故障に負けずに練習してきた努力、ベンチで選手を支えられる人間性、野球の知識の高さ。それらを買っての決断だった。しかし、投手として登板する機会がないことも意味していた。

 その日、石丸君は部室で一人、涙を流した。「ベンチに入れてもらえるんだ。しっかり役割を果たそう」。頭ではわかっていても、なかなか気持ちの整理がつかなかった。

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 韮崎工高3年の五味遼汰君は小学校から野球をしてきたが、韮崎工ほどの大所帯は初めてだった。3年だけで部員が22人もいる。試合で力を出し切れずにきたからこそ、朝だれよりも早くグラウンドに出てバットを振った。夏にかける思いを、帽子のつばに「自信」と書いて表した。

 6月21日、山梨大会の抽選会があり、初戦の相手は都留高に決まった。5日後。監督は選手全員をグラウンドに集めた。

 「勝つためには、戦う人だけじゃなくて、支える側の役割も必要なんだよな」。監督はそう言い、メンバーを発表した。五味君の名前はなかった。

 「呼ばれたメンバーはウェート、あとのメンバーは整備。残った3年生、ちょっとこっちこい」。監督がメンバーを外れた3年の6人を少し離れた場所に集めた。監督は母校の甲府工時代のことを話し始めた。

 番号をもらえるかどうかっていう違いはあるかもしれないけど、お前らの気持ちがすごくわかるんだ。野球でチームに貢献できないってつらいよな――。

 監督の名は石丸慎。石丸監督はマウンドに立てなかった高校最後の夏を語った。「この経験をしたやつにしかできないことがいっぱいある。チームのため、自分にどんなことができるのか、おまえたち自身で考えてほしい。それができるって信じてるから」

 2010年まで四半世紀にわたり甲府工を率い、72歳になった原さんは、石丸監督がメンバー発表で語った言葉を記者から聞き、「あいつらしいったらありゃしない」と懐かしみ、「監督も、選手も、チームも、メンバー発表という、ある意味で苦しいときを味わうことで成長できる」。教え子にメッセージは伝わっていた。(市川由佳子)

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