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 三重県名張市出身で、「ほれてまうやろー!」というフレーズで人気のお笑い芸人チャンカワイさん。テレビでは過酷なロケに挑む姿も目にします。甲子園への切符を賭けて、100回の節目の大会に臨む高校球児たちへエールを送ってもらいました。

 ――名張のご出身ですね。

 10歳の時に奈良から引っ越してきました。18歳で上京するまで過ごしましたが、名張は両親がいる場所という感覚でしたね。でも、大人になるにつれて名張がとんでもなくいい場所だと気づいて。今は帰りたい場所、大切にしたい場所になりました。

 ――卒業した名張西高校は今年閉校しました。どんな高校生でしたか。

 部活の剣道を必死にやって、お笑い芸人になると決めてからは授業そっちのけでネタを書き、わんぱくな学生生活を過ごしていました。母校が合併すると聞いたときはショックでした。

 ――部活動では剣道に打ち込まれたのですね。

 練習はきつかったです。朝からみっちり2時間。どの部活よりも早く来て、どの部活よりも遅く帰るのが剣道部と野球部でした。トレーニング室でも一緒。僕たちは道着やユニホームを自分たちで干していたんですけど、サッカー部は女子マネジャーが洗っていました。グラウンドを見たら爽やかなサッカー部がいて、野球部と一緒に「なんやねんあいつらー」って愚痴を吐いていました(笑)。だから野球部には親近感があって、仲が良かったです。

 ――そんな「戦友」の野球部の試合を見たことは。

 3年の夏の大会に応援に行きました。勇ましく見えました。トレーニング室で鍛え上げた力が打球に伝わってほしい、と全力で声を上げました。剣道の応援は静かなので、応援も含めてみんなで一緒に頑張るとはこういうことか、と感じたのを覚えています。

 ――自身の剣道生活は。

 高校2年の時に腰を疲労骨折してしまったんです。絶望感でいっぱい。生活の全て、感情の全てが部活動中心だったんですね。だから喜びも悲しみも全部奪われたような、すっからかんになって。何をしていいのか分からなくなりました。

 でも、顧問の先生が「竹刀だけでも振りに来い」と言ってくれて。その言葉が救いでした。道場をきれいにする役割も与えてくれたことで、今まで自分がいた道場を俯瞰(ふかん)して見られるようになりました。

 ――今は芸人として体を張った仕事もたくさんされています。

 今からワニと戦ってもらいますとか、闘牛場の真ん中にあるシーソーに乗ってもらいます、とかむちゃぶりですよね(笑)。何でこんなことせなあかんねん、って思いますよ。

 でも僕は笑ってもらうことが目的なので、オンエアされる日を想像する。牛がシーソーにどーん。うん、確かにおもろいかも、って自分を説得するんです。最初は困難に思えることでも、未来の自分と見てくれる人のことを考えたら「牛さんありがとう」なんですよ。それに、宮川大輔さんが「面白いことをするのにけがするわけない」って教えてくれたんです(笑)。一歩引いて困難と思える現状と立ち向かうっていうのは、剣道部でけがしたときに教えてもらったのかもしれません。

 ――100回大会に臨む球児たちにエールをお願いします。

 僕が剣道から色々学んだように、何事も続けてきたことは糧になります。高校野球は今の僕にとってはエンターテインメント。全力で練習する、走るだけで興奮するし、楽しませてもらっています。だから100%を注げる青春っていうのを存分に味わってほしい。余計なことは考えず、まっすぐ、思う存分プレーして下さい。(聞き手・甲斐江里子)

 チャンカワイ 1980年6月15日生まれ。名張西高在学中からお笑いの道に進み、2000年、えとう窓口さんとお笑いコンビ「Wエンジン」を結成。もてない男性が女性にほれてしまうコントで人気を博した。「ほれてまうやろー!」と「気をつけなはれや!」が決めぜりふ。「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)や「スイッチ!」(東海テレビ)、「天才てれびくんYOU」(Eテレ)などに出演中。剣道二段。名張市観光大使、みえの国観光大使を務める。伊勢市の二見興玉神社の夫婦岩でプロポーズし、15年に結婚。1児の父。

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