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 台湾からの旅行客をきっかけに麻疹(はしか)が流行し、6月までの患者数は160人を超えました。20~40代を中心に、予防接種が不十分な世代があったためです。日本は国際的には「ワクチン後進国」と呼ばれています。どのような対策が必要なのでしょう。

《なぜ》相次ぐ訴訟、国は予防接種に消極的に 中山哲夫さん(北里生命科学研究所特任教授)

 麻疹ワクチンが公費で助成される定期接種になったのは、1978年です。当初は1回打てば一生大丈夫と考えられていましたが、2回接種しないと感染を防げない場合があるとわかりました。

 90年代に欧米先進国が次々に2回接種に切り替えるなか、日本でも必要性を訴えましたが、政府は「国内のデータが必要」と言ってなかなか動きませんでした。2006年にようやく乳幼児への2回接種が始まりましたが、今回のような流行を防ぐには、1回しか接種しなかった世代にも2回目の接種をすることが最低条件です。

 このように、接種方法の改善や導入時期が遅れる「ワクチンギャップ」が長らく指摘されてきました。例えば、欧米では80年代後半以降に開発されたワクチンにより、Hib(ヒブ)(インフルエンザ菌b型)や肺炎球菌による子どもの死亡はすっかり見られなくなりました。一方、日本が両ワクチンを定期接種にしたのは13年。それまでに何人もが亡くなりました。

 ワクチンギャップの実体は、政策ギャップです。日本政府には感染症をワクチンで予防するという確たる方針がなかったのです。

 日本のワクチン開発は80年代まで、それほど遅れてはいませんでした。しかし70年代以降、天然痘ワクチン後の脳炎など、予防接種後の死亡や障害が社会問題になりました。国がその責任や補償をめぐり争ったため、各地で集団訴訟が相次ぎ裁判は長期化。国に損害賠償を命じた92年の東京高裁判決などで決着したのですが、国は予防接種に消極的になり、ワクチン政策は約20年間止まりました。

 多くのメディアが被害者の悲惨な状況を報道したこともあって、子どもにワクチンを受けさせないという考えも広がりました。

 ワクチンは国に導入の意思がなければ開発が進みません。政府は開発のみならず、海外から導入することもしませんでした。防げる感染症を防ごうとしなかった厚生行政の責任は重いのです。

 欧米では感染症の発生動向を監視し対策を講じるという政府の戦略が明確ですが、日本はその姿勢が貧弱です。例えばおたふく風邪は90年ごろ、ワクチンによる無菌性髄膜炎の副反応が問題となり、自己負担で受ける任意接種になりました。その結果、接種率が下がり、15、16年の2年間で少なくとも348人がおたふく風邪による難聴になりました。国の調査ではなく、日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会による調査で明らかになったのです。

 おたふく風邪ワクチンが定期接種となっていないのは、先進国では日本ぐらいです。ワクチンによる無菌性髄膜炎の発生率は、おたふく風邪による発生率の25分の1という研究報告もあります。ワクチンの効果と副反応についてメディアの理解を深め、市民に正しい知識を普及させるためにも、根拠となるデータが重要です。

 一方、子宮頸(けい)がん予防の効果と副反応をめぐり論争になったHPVワクチンは、今となってみると導入を急ぎすぎたと思います。最初に「強い痛みが出ることがある」といった事前説明が不十分なまま効果を強調しすぎました。流行防止の効果がより明確で、定期接種導入が海外より大幅に遅れているおたふく風邪やロタウイルスのワクチンの方が優先されるべきでした。新しいワクチンを定期接種にするには、もう少し見極めて判断しても良かったと考えます。

 ワクチンは開発、導入されたら終わりではありません。海外でも導入後に想定外の副反応が多発して中止になったワクチンがあります。重い感染症でもワクチンの効果で患者数が減ると、副反応対策の重みが増します。そうした状況を常に注視し、根拠に基づいた対策を進めることが重要です。

 <なかやま・てつお> 1950年生まれ。小児科の臨床医だったが、41歳で北里研究所に入り、ワクチンの安全性研究の道へ。研究所教授を定年後、現職。

《解く》成人への接種にも重点を 矢野晴美さん(国際医療福祉大学教授)

 ワクチンには圧倒的なメリットがあります。ただ残念ながら、一定の割合で副反応は出ます。日本では救済のハードルが非常に高い印象がありますが、手厚く救済すべきです。定期接種と任意接種で救済制度が違うのも問題です。

 米国では幼稚園から大学まで、それぞれ入学時に予防接種のチェックがあります。宗教上の理由やアレルギーなどがない限り、接種することになります。メリットや副反応について、専門家が中学生にもわかるような言葉やイラストで伝えることにも熱心です。

 日本では予防接種のチェックが弱く、接種の意義も十分に浸透していません。医学部を卒業後、米国で感染症を学び、2000年に一時帰国して違いに驚きました。医療関係者のメーリングリストを作り、先進国の対策について情報を共有しました。新型インフルエンザの発生を経て国の意識も変わり、ワクチンギャップは小児を中心にかなり解消されましたが、現場をみると課題が残っています。

 例えば、ワクチン行政が整っていない時期に子ども時代を送った働き盛りの世代が穴になっている面があります。人間ドックや会社の健康診断の血液検査で麻疹、風疹、おたふく風邪、水ぼうそうの抗体を調べることを提案しています。陰性ならば、予防接種費用を補助してはどうでしょうか。

 理想を言えば、定期と任意の区別をなくして、小児、思春期、成人、高齢者のそれぞれで国が推奨する標準のワクチンが費用負担なしで打てるようになればと思います。前任の水戸協同病院では、肺炎球菌、破傷風、ジフテリア、帯状疱疹(ほうしん)のワクチンをセットにして中高年向けに勧めています。

 破傷風・ジフテリア・百日ぜきを含む混合ワクチンは現在、小児で定期接種していますが、67年生まれ以前は定期接種でなかったため、毎年100人前後の破傷風患者が出ています。元気な人が突然亡くなったり、集中治療室で数カ月過ごしたりするのです。妊娠中はリスクが上がるため、米国では妊婦も百日ぜきの予防接種の対象です。今後は成人への予防接種にも重点を置く必要があります。

 こうしたことを分析しワクチン政策に組み込むには、日本は疫学の専門家がまだ足りません。米国で麻疹は1回接種では不十分と気づいたのも、疫学調査で組織的にデータを集め解析した結果です。日本も人を育ててはいますが、感染の動向を監視するサーベイランスをさらに充実させる必要があります。予防にもっと重心を移し、当たり前のワクチンを当たり前に接種できるようにすべきです。

 一方で定期接種が増え、小児では小学校に入るまでに10種類近いワクチンを複数回、打たなければなりません。予防接種法が、打ち方などを細かく決めすぎているとの批判もあります。法改正なしに対応できる部分もありますが、同時接種や混合ワクチンをより積極的に取り入れて、負担を軽くすることも大事です。

 HPVワクチンは世界保健機関(WHO)からも勧告されていますし、早く勧奨を再開すべきです。ただ、子宮頸がん検診の重要性や性感染症の予防法も同時に教える必要があるでしょう。WHOが途上国も含めて全員接種を勧めるB型肝炎ワクチンも、世界に大きく遅れてようやく小児の定期接種が始まりましたが、肝炎や肝がんを減らすために成人にも広げるべきです。

 感染症は海外から入ってくる前提で考えなければいけません。その予防は医療の枠組みだけでは不十分です。東京五輪を控え、海外から多くの人が来日します。市民に自分のからだや健康への関心を高めてもらう工夫が急務です。(聞き手・いずれも大牟田透)

 <やの・はるみ> 1968年生まれ。専門は臨床感染症学。日米の医師資格を持ち、自治医科大学准教授、筑波大学教授などを経て、今年4月から現職。

 

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