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 神宮球場では多い日は約150人の売り子のアルバイトが働く。彼らを含む球場の飲食・物販を統括するのが、野球場販売部主任の古畑和彦(38)だ。古畑は、春夏合わせて甲子園で7回の優勝を誇るPL学園高(大阪)の4番だった。

 1998年8月20日は、古畑にとって忘れられない日だ。第80回大会準々決勝。松坂大輔(中日)を擁する横浜(東神奈川)と延長十七回を戦った。上空を飛ぶヘリコプター、立ち見客が出た満員の外野席……。いまでも覚えている。

 横浜が1点リードで迎えた十一回裏1死二塁、古畑が空振り三振に倒れた。続く5番大西宏明(元近鉄など)の適時打でPL学園が同点に追いつく。その時、古畑は一塁ベンチ奥で泣いていた。打てなかった悔し涙ではない。「まだ続けられる。勝てるかもしれないって思ったんです」

 この日、古畑は無安打に終わった。チームも7―9で敗れ、「悔しさでいっぱいだった」と振り返る。ただ、それは松坂が古畑を4番として意識し、真っ向勝負を挑んできた結果だ。「この試合は僕に諦めない心を教えてくれた」と古畑は言う。

 卒業後は亜細亜大に進んだ。1年生から注目された。しかし、思うようなプレーができない。76キロあった体重は66キロに。その影響で打球も飛ばなくなり、公式戦からは遠ざかった。原因は分からなかった。「ダメなんじゃないか」。そんな気持ちが芽生えた。

 4年の春、大学の監督に明治神宮外苑への就職を紹介された。当時は軟式野球チームがあり、プレーしながら野球場やゴルフ場の職員として働くというもの。スポーツに携われるなら、と2003年に就職した。

 忙しい日は午前6時~翌午前0時ごろまで働き、職場に泊まり込むこともある。「PL、亜大と同じくらいきついですよ」と笑う。さらに休日は他球場や百貨店、ショッピングモールを訪れて陳列の仕方を研究したり、新商品のヒントを得たり。苦にならないのは、「野球に携わってきて野球場で働けることは幸せなことだと思うから」。

 今年は全国高校野球選手権が第100回記念大会を迎え、プロ野球では松坂が12年ぶりに日本で勝利を挙げた。「松坂世代」が再注目され、古畑にも取材の依頼が増えた。「『松坂世代』に自分が入れてもらえるのはうれしい」と話す。

 一方で、プロ野球選手ではない古畑がなぜ選ばれるのか。「普通のチームじゃない『PLの4番』だからじゃないでしょうか」。それが重荷になったこともあった。でも、いまは意気に感じている。

 古畑の目標は、神宮球場をプロ12球団が本拠とする球場の中で最も飲食で人を呼べる球場にすることだ。「すべてが試練ですけど諦めない心を持ち続けたい」。母校は16年に休部したが、甲子園での経験に支えられた古畑は、この夏も神宮球場で東京の高校球児たちを待っている。=敬称略、おわり(小林直子