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【アピタル+】患者を生きる・雪崩・高山病(登山中のケガ・病気)

 高さ8千メートルを超す世界中の全14座のすべてに、日本人として初めて登頂した竹内洋岳さん(47)。達成までに、さまざまな事故や病気に向き合ってきた。一般の登山者が楽しんでいる身近な山登りでも、けがや病気の危険はある。どんな心構えや対策が必要か。日本登山医学会長の増山茂・東京医科大教授(70)に聞いた。

シニア世代の遭難増加 体力づくりを

――登山者にとって身近なけがや病気は何ですか。

 警察庁がまとめる「山岳遭難の概況」(2017年)によると、山で起きるトラブルで最も多いのは「道に迷うこと」で、40%を占める。次いで滑落が17%、転倒が15%だ。

 登山者の高齢化という理由が大きい。つまり、私のような年齢の愛好家がたくさん登っている、ということだ。実は私自身も最近、岩から落ちてひざを打ってうまく足が上がらなくなった。以前は問題なかった小さな段差でも、思わずつまずいてしまう。

 シニア世代で足が自由に動かないのは、けがの積み重ねもあるだろうし、そもそも全体的な筋力の低下もあるだろう。空間をきちんと認識したり、把握したりする能力が落ちてくることも挙げられる。

――ひと昔前ならリタイアしていた世代が、今は元気に山を楽しんでいるとも言えますね。

 年代別の事故の割合を見ると、それがはっきりみてとれる。重要なのは、全体の遭難件数がずっと増え続けているということ。1980年代ころまでは年間500件前後だったが、90年代から増えはじめ、2000年ごろから1千件を突破した。最近は2500件を超えている。しかし、全体の登山者数はそれほど増えていない。つまり変わったのは年齢別の内訳だ。

 残念ながら事故に遭うのはシニア世代が多く、60歳代以上で5割を占める。90年代に60歳代の事故が増え、2000年以降は70歳代が増えている。20歳代や30歳代の事故件数はほとんど変化していない。

――だからこそ、自分の体力の低下を自覚して準備と対策をとることが欠かせませんね。

 有効なのは筋力トレーニングだ。60代でも70代でも筋肉を鍛えることはできる。実際、プロスキーヤーの三浦雄一郎さん(85)も日々のトレーニングを欠かさないことで、筋肉を維持している。体幹や下肢の筋力はすばらしい。三浦さんは重さ20キロのザックを背負い、両足で4キロある靴で歩いていらっしゃる。大変な方だ。昔から世界的なアスリートではあったが、なおさら偉大なのは、「今の自分を決めているのは、過去の成果ではない」とおっしゃること。つまり、「現在のトレーニング量が現在の自分をつくっている」と言い切っていることだ。

 あんな偉大な人でさえトレーニングを欠かさないのだから、私たち一般の愛好者ならなおさら頑張らねばならない。山の上り下りで使う太ももの大腿四頭筋(だいたいしとうきん)、つまずかないためのすねの前脛骨筋(ぜんけいこつきん)、姿勢を維持する腹筋などをしっかり鍛えたい。坂道のジョギングや踏み台昇降、スクワットや腕立て伏せを組み合わせるのと効果的だ。

写真・図版

――道に迷わないためには? シニア世代の認識力の低下をどうカバーすればよいでしょうか。

 認識力の衰えよりも深刻なのは、自分で登山ルートをきちんと調べなくなったこと。「だれかの後ろをついていけば大丈夫」「詳しい人に聞けばいい」といった考えをする人が増えている。シニア世代に限らない困った傾向だ。

 最近はタブレット端末やスマートフォンに内蔵されたGPS機能で自分の居場所を表示してくれる。便利でありがたいが、「困ったら現場で何とかなる」という意識にもつながっている。事前にきちんと地図を見て、計画を立てなくなった。山登りの記録なども読まなくなった。機器や他人に頼って、いざというとき自分で対処する能力を失っている。そして、ひとたび道に迷うと不安になり、注意力が落ちて滑ったり転んだりする事故につながる。

熱中症、死の危険も

――病気の対策はどうですか? これから熱中症が心配な季節です。

 熱中症は非常に恐ろしく、重症になると死亡にもつながる。この10年ほどで症例の研究が集積され、どんな条件でどのような症状がどんな頻度で起きるのか、詳しい知見が得られてきた。人は、寒くなれば血管を収縮して熱の放出を抑えるし、熱い場合は発汗によって体の外へ熱を逃がそうとする。ところが高齢になると自分の体温変化に疎くなる。

 熱中症の初期症状には、めまいや立ちくらみ、大量の発汗などがある。重症化すると頭痛や嘔吐(おうと)、判断力の低下が起きる。さらに進むと神経や内臓に障害が出る。対処は「休息」「冷却」「水分補給」だ。

 登山時の脱水量は「体重×歩く時間×5」で計算できる。60キロの人が5時間歩くと1500ccの水分が失われる。そこで、この7割程度を1時間おきに補給するのが目安になる。

 低体温症にも気をつけないといけない。夏でも高い山では気温が低い。2009年に起きた北海道のトムラウシ山の遭難事故は、7月だった。中高年登山客ら18人のグループが、雨と風のなかで体温を奪われて動けなくなり、9人が死亡した。事故報告書を読むと、震えがほとんど起きないまま低体温症になった人が多かった。しかも、出発からわずか3時間ほどで体温を失っていた。

夏も低体温症のリスク 「ぶるぶる」したら体温めて

――低体温症の症状とはどんなですか。ならないための対策は?

 寒くなると人は体内のグリコーゲンを熱に変える。ぶるぶる震えて発熱を促す。しかしグリコーゲンが消費され、体を震わせることもできなくなると、体温は一気に下がる。32度前後に落ちると、あとは下がりっぱなしになり、もう戻らない。中枢神経症状があらわれ、性格が変わったり、おかしなことを口にしたりしはじめる。極めて危険だ。

 低体温になった場合は、まだ震えることが出来ているうちに、一刻も早く体を温めなければならない。とくに高齢者の場合は、この震えていられる時間がかなり短いから要注意だ。

 低体温症になる要因は三つある。①気温の低さ②雨などによるぬれ③風の三つ。出発前にこの3点に留意して、きちんと対策をとろう。

 とくに重要なのは体が雨にぬれないことだ。日本で起きる低体温症のほとんどは雨によるもの。秋の入り口などはとくに危ない。

 対策はとにかく、早く気づくこと。そして、すぐに身体を温めることだ。ただし、現場で身体を温める方法には限界がある。病院への搬送を急がねばならない。最近はスキーヤーが遭難して低体温症になるケースもあるが、体温が20度まで下がっても病院で回復したケースがある。だから決して諦めずに、病院への搬送を急いでほしい。心臓が非常に繊細な状態になるので、専門的な措置が欠かせない。

「本当の登山家」とは

――最後に、海外遠征などハイレベルの登山について。

 現代の一流登山家がやっている挑戦は、いろいろな意味で本当にレベルが高い。ただ単にハードなことをやるとか、難しいことをやるとかいうのではなく、その挑戦の歴史的・哲学的な意義を追求している。

 登山家に贈られる最高の栄誉に「ピオレドール賞」がある。日本人も多く受賞している。賞の選考においては、こうした登山の意義や、地域社会との関わり、環境への配慮など、さまざまな点が問われる。資金にまかせて大勢のシェルパを雇ったり、ヘリコプターに載ってふもとに行ったりしても、登山の価値は認められない。そして当然、生きて帰ることが問われる。

 リスクを適切に判断し、安全な登山を続けられる人こそ、本当の登山家として生き残れる。真に優れた登山家は無理はせず、危険に対して謙虚で、専門家の話を素直に聞く。冒険家とは、無謀なことをする人のことではない。知的でスマートで冷静であること。それが本当の登山家だ。

 

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<アピタル:患者を生きる・スポーツ>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(聞き手・伊藤隆太郎)