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(23日、セルビア1―2スイス サッカー・ワールドカップ)

 なぜ、あのポーズをとったのだろうか。

 試合終了間際、セルビア相手に決勝ゴールを奪ったスイス代表のシャキリは、ユニホームを脱ぎ捨て、観客席に走り出した。後半7分に同点ゴールを奪ったシャカも駆け寄った。

 並んだ2人は胸の前で、広げた両手を親指で交差させ、鳥が羽ばたくように指を動かした。

 連想させたのは、アルバニア国旗に描かれる「双頭のワシ」だ。2人はアルバニア系スイス人で、旧ユーゴスラビアのコソボにルーツを持つ。コソボの独立を認めていない同じ旧ユーゴの対戦国セルビアへの挑発だったのか。

 「思いはあるけど、言いたくない」。コソボ生まれのシャキリは試合後、そう話したという。多民族が暮らすバルカン半島は複雑な歴史を今も引きずっている。

 4年前、シャキリとシャカにインタビューした。2人とも1990年代の紛争によって、家族がコソボでの居場所を失い、移民としてスイスで暮らしてきた。

 「どこに行っても、僕は外国人なんだ」。そうつぶやいたシャキリの寂しげな顔が忘れられない。ピッチで見せる荒々しい姿とは全く違った。小学5年生までクラスでただ1人の外国籍だったという。「スイスには感謝している。でも、コソボの血が流れていることは忘れたことはない」。命の危険にさらされない生活が保証されていたのがスイスだった。サッカーで認められることが、国籍取得の手助けになると信じていた。

 W杯の欧州予選でアルバニアと対戦したときは、故国に背を向けたと、相手サポーターから突き刺さるようなブーイングを浴びた。

 アルバニア代表を選んだ兄を持つシャカも「プロ選手としては仕方のないことかもしれないが、本当に心が痛い」と漏らしていた。

 シャカは、父親がコソボの独立運動を支援した疑いで、政治犯として刑務所に収容されたことから、家族でスイスに逃げた。「アルバニア、コソボの子供たちが『シャカみたいになりたい』って思ってもらえる選手になりたい」。サッカーを通して世間の目を変えたい、という強い意志を持っていた。

 旧ユーゴスラビアは、「東欧のブラジル」と呼ばれ、技術の高い名選手を生み出す土壌がある。26歳のシャキリと25歳のシャカはその流れをくむ。

 代表チームは、その国の縮図でもある。スイスは移民を取り込むことで、4大会連続のW杯出場を果たした。今大会は初戦でサッカー王国ブラジルと引き分け、セルビア戦で快勝し、2大会連続の決勝トーナメント進出に近づいた。

 4年に一度の祭典は、感情を極限まで高ぶらせる。堰(せき)を切ったように感情が流れ込んだピッチは、ときには複雑な社会情勢を映し出す。かつてシャカは「スポーツと政治は切り離すべきだ」ときっぱり話していた。セルビア戦で見せたあのポーズは、国際サッカー連盟(FIFA)が禁じる政治的宣伝だった、とは思えない。

 故郷はいつだって、誰にとっても特別だ。たとえ住んでいなくとも、故郷に認めてもらいたい――。そんな心の叫びだったのではないだろうか。(吉田純哉)

     ◇

 〈コソボ〉 セルビア正教の聖地で、14世紀末からアルバニア系住民が移り住んだ。旧ユーゴスラビア時代はセルビア共和国の自治州となった。1990年代、多数派のアルバニア系住民がセルビアによる自治権縮小に反発。武装闘争で独立をめざしたことで、セルビアとの紛争が激化した。2008年2月に独立を宣言したが、セルビアをはじめ、ロシアなどが独立を承認せず、国連には未加盟。