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 東京成徳大高の朝井陸友(りくと)(3年)は、夏前にメンバー争いから身を引いた。昨夏、応援団長としてスタンドからチームを鼓舞した憧れの先輩・鳥山宗樹に続くためだ。

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 5月13日の日曜日の夕方。学校近くのファミレスで、朝井は悲壮な決意と希望を秘めて、テーブル越しに大学1年生になった鳥山と向かい合っていた。

 1学年上の鳥山は内野手で、夏の大会直前にベンチ入りをあきらめ、応援団長になった。同校に応援部はなく、最後の夏の応援のため、野球部員が応援団となる。ベンチ外のメンバー30~40人ほどで、応援団長はこれまで2年生が担ってきた。

 当時3年生の鳥山は、炎天下のスタンドで、特製のはちまきとたすきを身にまとい、ベンチ外メンバーを引き連れて、声をからしていた。朝井は鳥山の決断とスタンドの姿に、尊敬の念を抱いていた。

 朝井は高校から投手に挑んだ。下手投げの投手として、必要な足腰の筋力、打者との駆け引き、投球の研究を重ねた。ただ現実は厳しく、いい試合はいいが、悪い時は悪い。直前の練習試合でも、安定した投球ができていなかった。

 同校の部員数は約60人。ベンチ入り20人のうち、控え投手は3人ほど。もちろんベンチ入りを狙って、これまでやってきた。ただ、自分の投球がチームの勝ちにつながるのか。自問自答を続けた上で、鳥山を夕食に誘うことにした。一対一での食事は初めてだった。

 朝井は出てきた食事を口にして、本題を切り出した。「応援団長をやろうと思うんです」

 鳥山は朝井の決断を尊重した。「痛いほど、朝井の気持ちがわかった」と振り返る。鳥山の兄は城東の中心選手だったこともあり、鳥山自身も応援団長になるまで最後まで悩み、支えてくれた親にも当初は反対された。この決断はいずれもチームを最優先に考えてのことだった。

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 その数日後、朝井は監督の森田正裕に決断を伝えて、投手としてマウンドに立つ夢は途絶えた。それ以降、普段の練習では打撃投手などで練習のサポートをしながら、最高の応援をするため走りまわっている。

 「自分の中で最高のスタンドをイメージするため」と、手始めに、インターネットで甲子園などで名物になっている大阪桐蔭や北海(北海道)の応援を見たり、都市対抗野球や六大学野球の応援を球場にも見に行ったりした。

 最後の夏を迎える他部の試合会場にも、部員を連れて応援に行く。サッカー、バスケットボール、ソフトボール、バレーボールの各部に声援を送った。「同じ3年生として応援したいし、野球部の応援にも来てもらいたいから」

 球場での応援に慣れない在校生向けに1時間ほどの練習会ができないか、学校に働きかけもしている。「僕自身新しいことに踏み出せるタイプじゃない。鳥山さんの決断がなかったら、僕は応援団長にならなかった。鳥山さんのためにも、歴代最高のスタンドにしたい」=敬称略(阿部健祐)

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