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戦後、受け継がれるパラダイス

 「あっ!あそこ」。山田鉄也さん(33)が船を止め、指さした。海面から巨体がせり上がる。ザトウクジラだ。くるりとひねって背を見せ、海へザブーン! 潜れば頭上をイソマグロの群れが旋回する。深く濃い青「ボニンブルー」の海が広がる小笠原諸島。世界屈指の透明度を誇る海の「案内人」が、鉄也さんの仕事だ。

 1968年6月26日に米国から施政権が返還されて50年、翌年、500人に満たなかった小笠原諸島の人口は今年6月1日現在、2629人に。出生率が高く、今も微増を続ける。漁業や農業に加え、年間約3万人、人口の10倍を超える人々が来島する観光業が伸びた。支えるのは専ら返還後に島に入った「新島民」たちだ。

 鉄也さんの父で、潜水士の捷夫(しょうぶ)さん(72)もその一人。仕事で訪れた父島に、73年に移住した。イセエビ漁を手伝い、その後、今は鉄也さんも働くダイビングショップを開く。「外から来た人にオープンで、自然に入れた」と捷夫さん。酒を飲み、酔うと英語になる同世代がいる。19世紀前半、無人の父島に住み着いた欧米人の子孫だ。独特の歴史が今も息づく。

 絶海の島に新天地を求めた新島民第一号は、返還翌日にやって来た猪村家の5人だ。猪村和江さん(63)は当時13歳。両親と2人の弟と5トン足らずの漁船「勝丸」で長崎県の五島列島を出航、13日間かけて父島にたどり着いた。

 一家に移住を決意させたのは、マグロ船に乗り、小笠原にも立ち寄っていた兄の思いだった。「きれいな島だ。返還されるから行ってみよう」。海図を広げ、夢を語ったが、20歳で他界。不慮の事故だった。悲しみの中で、家族はその夢をかなえようとした。

 返還式典翌日の27日、港に現…

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