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 5月上旬、茨城県土浦市の球場で他校の試合を見ていた明秀日立の池田陵人君(3年)のもとに、野球帽をかぶった小学生5人が近づいてきた。

 「池田さんですよね。サインもらえませんか」。手には、自分たちが載った雑誌や新聞の切り抜き。初めての経験だ。「ようやく地元に認められてきたんかな」。喜びをかみ締めながら、つばに名前を書いた。

 明秀日立(日立市)には、関西を中心に県外からの野球留学生が集まる。16強入りした今春の選抜大会では、ベンチに入った選手18人中16人が県外出身。会話では関西弁が飛び交う。

 池田君も160近いチームがひしめく兵庫県出身。仲間の多くが県外の強豪校に進学する中、明秀日立から声がかかった。「茨城なら甲子園に出やすいんちゃうかな……」。抵抗感はなかった。だが、来てみて空気の微妙な違いを感じた。

 昨夏の県大会で県立高と対戦した時。5点差で圧勝ムードの中、相手打者が出塁するたび、スタンドにどよめきや拍手が鳴り響いた。球場全体が後押しするかのよう。相手は勢い付き、1点差まで迫られた。

 選抜大会の期間中、大阪で乗ったタクシーの運転手は、選手と気づかずにこう言った。「明秀は大阪ばっかりやから、常総に来て欲しかったわ」。高校に「外人部隊」と書かれた手紙が届くこともあると聞いた。

 地元の県立高野球部に入った友人は試合で負け、「県外を集めたチームが勝つのは当たり前や」とぼやく。「応援されないのもわからんでもないな」と思う。

 1年生から試合に出る大阪出身の主将増田陸君(3年)は昨夏、けがで練習できなかったのに、茨城出身の先輩を押しのけてレギュラーになった。「俺が試合に出ていいんかな……」。地元にいた時は感じなかった感情が浮かんだ。

 何となく歓迎されない空気を、池田君は「仕方ない」と考えないようにしてきた。県内出身のチームメートは「うまいやつが出ればいい」という。でも、「やっぱり、地元に愛されるチームでいたい」。毎年、冬は早朝に寮周辺のゴミ拾いをしてきた。「俺たちの野球を認めてもらいたい」一心だった。

 明秀日立が県北地域から29年ぶりに甲子園に出たことで、地元は沸いた。ポスターが貼られ、壮行会には約1千人が集まった。試合があると、学校そばの食堂に近所の人が集い、声援を送る。店主の斉田智恵子さん(72)は、「これだけ日立を盛り上げてくれてるのに、地元出身とか県外とか関係ない」。

 練習中、「頑張れよ」と声をかけてくれる人も増えた。「甲子園に行ったことでようやく認められた気がした」と、池田君は言う。

 明秀日立が県外出身者を積極的に集めるようになったのは、約6年前。「甲子園請負人」の金沢成奉監督=大阪府出身=の就任がきっかけだ。

 前任校の青森・光星学院(現・八戸学院光星)は就任当時、甲子園経験のない無名校。「地元選手に光星という選択肢はなかった」と振り返る。そこで、「野球エリート」ではない県外選手を誘い、寮生活で徹底的に鍛えた。就任2年で甲子園出場。その後も3期連続で甲子園に導いた。すると、地元の有力選手が集まるようになったという。

 「地元中心で日本一が理想。今はその理想に近づくための過渡期なんです」

 昨春、日立市出身で中学時代に県選抜にも選ばれた友部亮君(2年)が、明秀日立の門をたたいた。複数の強豪校からも誘いがあったが、明秀日立を選んだ。「甲子園に行く力があるチームだと思ったからです」