援助交際の末の妊娠、そして…死産の娘がつないだ絆

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森岡航平
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 公園のトイレで産み落としたのは約2500グラム、身長約54センチの女の子。死産だと分かると、ポリ袋に入れた胎児をさらに黒っぽい紙袋に入れ、2時間半以上歩いた。午後6時半過ぎ、老人保健施設の出入り口付近に紙袋を置いた。薄い毛布と、「死産した赤ちゃんを産み落としました。供養してほしい」と書いたメモを添えた――。

 そうして死体遺棄罪に問われた住所不定、無職の被告の女(42)。前橋地裁の公判で明かされたのは、ネットカフェを渡り歩き、社会的援助から取り残された「住民」の存在だった。

 両親と暮らしていた被告は7、8年前、両親とけんかになり、家出した。「(けんかの理由は)はっきり覚えていません。きっとささいなことだったのだと」。県内のネットカフェやビジネスホテルを転々とした。仕事はなく、貯金はすぐに底をついた。

 生きていくために選んだのは「援助交際」だった。出会い系サイトで知り合った男性と性行為をする見返りに、3千~1万円程度を受け取った。「援助」した男性は10人ほどいた。

 被告の体に異変が現れてきたのは昨夏ごろ。生理が止まり、腹部が膨らんだ。だが、妊娠検査薬を使ったり、産婦人科を受診したりすることはしなかった。保険証もなかった。

 「生理がないのは不規則な生活のせいで、40代で閉経することもあると、もっともらしく自分に言い聞かせていた。現実を見ようとしなかった」。薄々は妊娠に気づいても、実家に帰ることはなかった。

 被告には家出中に交際を始めた男性もいた。住まいは友人とシェアし、仕事は建設関係の事務員。そんな偽りの姿を伝え、「援助交際」も隠した。誰の子かわからない妊娠を相談はできず、男性に妊娠を疑われても否定した。

 4月1日、前橋市内のネットカフェの障害者用トイレで出産が始まった。この場所では産めないと思い、公園に向かった。「誰にも言えない。一人でなんとかしなきゃいけないという気持ちが先走ってしまった。子どもを産む自分の行動自体が罪だと思ってしまった」。産んだ子は冷たく、産声を上げなかった。

 日が沈んでから目にした老人保健施設は病院に見えた。病院なら、適切に処置してもらえるのでは。そう考えて我が子の遺体の入った紙袋を置いた。

 出産から2日後の深夜、ネットカフェにいるところを警察官に見つかり、逮捕された。

 公判中、しっかりした声で…

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