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杉本昌隆七段の「棋道愛楽」

 愛知県一宮市出身の豊島将之八段が羽生善治竜王から棋聖位を奪取し、念願の初タイトルを手にしました。

 16歳のプロデビュー以来、常に「名人候補」と言われてきた本格派。ここ数年は「最強棋士」と評価されるほどで、今までタイトルに縁がなかったのが不思議なくらいです。羽生竜王のタイトル通算100期が懸かった大舞台でしたが、豊島棋聖はその実力をいかんなく発揮し、堂々のタイトル獲得です。

 豊島棋聖は幼少期に、よく一宮市民将棋大会に出場していました。当時、審判長をしていた私は豊島少年と何度か指導対局をしたものです。今でも鮮明に記憶に残る二枚落ちでの対局。銀多伝定跡からジッと飛車を引き、2筋に転換して歩の手筋でポイントを稼ぐ……。小学生らしからぬ落ち着いた指し回しで負かされたことは、忘れることができません。

 「この少年は、きっと棋士になるな」

 タイプこそ全く違いますが、まだ10歳にも満たない少年を見てこう思ったのは、後に弟子になる藤井聡太七段と、このときの豊島棋聖くらいです。ダイナミックな大技を狙う藤井少年と、精密機械のように緻密(ちみつ)な読みの豊島少年。何となく、このころから現在の両者の棋風が垣間見えるようです。

 ちなみに、当時の私は20代。豊島棋聖は小学校低学年で、さすがにこの対局のことはあまり覚えていないようです。

 もっとも、その翌年くらいのこと。飛車香落ちか飛車落ちで今度は私が勝利したらしく、当時の豊島少年は「プロは強いな」と感じたとか。私がこれを忘れているのが悔やまれます。でも、せっかくなので覚えているふりをして、ことあるごとに人に自慢している……なんてことは、ここだけの秘密です。

 豊島棋聖が棋士になったころ、私は同郷のよしみで声を掛け、大阪で、ときには名古屋で一緒に研究会を行っていました。年の瀬も押し迫った年末のある日、一宮に帰省していた豊島棋聖と、群馬県から三浦弘行九段、三重県から澤田真吾六段、そして私というメンバーで名古屋で研究会をしたことも。

 まだ初段だった藤井七段と対戦してもらったこともあります。いつの日か、必ず大舞台でぶつかるであろう2人。棋士と奨励会員では格が違いすぎますが、快く受けてくれた豊島棋聖には今思い出しても感謝です。

 棋士にとって、タイトルは永遠の目標。実力の世界ですから、挑戦すらかなわない棋士がほとんどです。選ばれた棋士しか手にできない栄冠。それだけにすべての棋士にとって憧れであり、一生を賭けた夢なのです。

 タイトルを獲得することは、その棋戦で1年間ずっと勝ち続けたということ。棋士は皆、「全勝」を一年の目標にして戦っています。最後まで勝ち残ることが、どれだけ棋士冥利(みょうり)に尽きるか。地位や名声だけではない、勝負師にしか分からない喜びがここにあります。

 豊島棋聖がタイトルを奪取した棋聖戦第5局(7月17日)で、羽生竜王が中盤で放った新工夫の「4七角」がありました。あまりにインパクトが強かったので、私はその一手に触れたお祝いメールを送りました。豊島棋聖はその羽生竜王の一手に、藤井七段の将棋が頭をよぎったとのことです。

 その藤井七段は今年中にタイトルに挑戦する可能性はなくなりましたが、勝ち将棋の鮮やかさは、もはやトップレベル。いつの日か、必ずタイトル挑戦を実現させてくれるはず。まだ16歳になったばかりで、時間はたっぷりあります。焦らずに強くなってもらいたいものです。

 いま、8大タイトルを8人の棋士で分けあう戦国時代。ここから抜け出すのは一体、誰でしょうか? また、藤井七段はどう絡むのでしょうか? 今後も目が離せません。

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 すぎもと・まさたか 1968年、名古屋市生まれ。90年に四段に昇段し、2006年に七段。01年、第20回朝日オープン将棋選手権準優勝。藤井聡太七段の師匠でもある。