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 福岡、大分両県で40人が犠牲になった豪雨から1年。あの日、濁流が、土砂が、愛する家族を奪った。遺族は断ちがたい思いを抱えつつも、前を向こうともがく。

 被害が集中した赤谷川の上流域にある福岡県朝倉市杷木松末(ますえ)の本村集落。兼業農家の樋口茂喜さん(61)の自宅には、亡くなった次男健太さん(当時21)の遺骨が今も家族とともにある。「一緒には避難できないから」。一周忌の法要に合わせ納骨するつもりだったが、離れられなかった。

 先月19日に雨で避難勧告が出されたとき、1階の居間から遺骨を2階に上げ、妻の晶子さん(57)と避難した。遺骨はみんなが集まる避難所に抱えてはいけない。もし家が濁流に流されたら。そんな不安から納骨を決めたはずだったのに。

 茂喜さんが健太さんと最後に言葉を交わしたのは、あの日の午後6時前。携帯電話の向こうから「今から(自宅を)出るよ」と告げられた。茂喜さんは、まだ勤務先の久留米市にいた。

 健太さんは車で避難先に向かう途中、自宅から1キロほど下流の旧松末小学校付近で濁流にのまれたとみられる。茂喜さんの母操子さん(当時85)も一緒だった。健太さんは2日後、操子さんは7月下旬に下流で見つかった。家族思いの息子が「還暦祝いに」と鹿児島旅行をプレゼントしてくれたばかりだった。

 月命日には健太さんの遺影と遺骨にから揚げを供える。「お母さんのから揚げが食べたいな」という豪雨当日の言葉が耳に残っているからだ。晶子さんは「LINE(ライン)」で、健太さんにメッセージを送り続ける。

 「梅の花が咲き始めたよ」

 「声を聞きたい」

 メッセージを見たことを示す「既読」はつかない。

 茂喜さんは小学校跡地や発見場所を通るたび、1年前を思い出す。自宅1階は濁流が流れ込み、流木がサッシを突き破った。

 「健太は家に残るべきだったのか、避難するべきだったのか。その思いがずっと続いていくと思う」

 強い雨が降ると、家族の安否が心配になる。「これがあと何年も続くかと思うと……」。25軒あった本村集落で、戻ることができたのは9軒だけ。ふるさとに残るべきか。いたみとともに迷いは消えない。(江崎憲一)

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