南三陸の球場、水はけ甲子園並み 阪神園芸仕込みの技
第100回全国高校野球選手権記念宮城大会(宮城県高野連、朝日新聞社主催)が14日、開幕する。今年初めて、被災地・南三陸町の「平成の森しおかぜ球場」が大会会場に選ばれた。甲子園に近い土で再整備されたばかりのグラウンドで、地元の志津川が晴れ舞台を踏む。
1991年にできたこの球場は、両翼90メートル、中堅120メートル。当時、約3億円をかけて整備した。
震災で、町内の学校の校庭には仮設住宅が建設された。球場があるスポーツ施設「平成の森」にも約250戸の仮設住宅ができたが、球場にだけは造らなかった。「子どもたちが思い切って運動できる場所を残したい」。佐藤仁町長の思いだった。周囲にはいまも、撤去を待つ仮設住宅が並んでいる。
その球場を町は約1億8400万円かけて大改修し、昨年にオープンした。
腐心したのはグラウンドの土だ。全国大会がある「阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)と同じにできないか」。仙台商の選手として69年の甲子園に出場し、ベスト8に進んだ佐藤町長の発案だった。
震災後、西宮市から町に応援職員が来ていた縁で、甲子園を整備する阪神園芸の協力を得られた。甲子園で使う鹿児島県産の火山灰が混じる土に、独自に岩手県産の土を合わせた。水はけの良さは甲子園並み。硬さも甲子園に近づけた。外野は天然芝で覆った。
球場の整備は週2回。阪神園芸の社員から指導を受けた「平成の森」の職員らが担当する。菅原弘館長は「管理は最初の3年が大事と聞いている。球児に気に入られるよう、整備したい」と意気込む。
地元志津川が2回戦で登場 「感謝の気持ちプレーで」
平成の森しおかぜ球場では、15、16日に2回戦4試合が予定されている。甲子園に近い土で試合ができるのは、全67チーム中8チームだけ。そこに地元の志津川が名を連ねた。
組み合わせ抽選会で初戦が16日のしおかぜ球場に決まると、佐々木素良(そら)君(3年)は「地元じゃん」とつぶやき、仲間がざわついた。佐々木君は「甲子園で試合をするみたい。うれしい」と心弾ませる。木皿和輝主将(3年)は「地元でできるのは運命。お世話になった方々への感謝の気持ちをプレーで表したい」。
もうひとり、ここでの試合を心待ちにする人がいる。15日に登場する塩釜の百々(どうどう)智之監督だ。今大会の会場になると知ったとき、「しおかぜで試合をしたい」との思いに駆られた。
2011年夏までの約3年半、志津川の監督を務めた。震災直後の混乱の中、約2カ月も練習ができなかった。校庭の半分以上は仮設住宅に。残りのわずかなスペースで練習をした。指導に悔いが残っている。
当時の教え子や保護者から「応援に行くからね」と連絡があった。「第二のふるさとみたいなもの。今も変わらずやっているという姿を見せたい」と語った。(佐々木達也、和田翔太)
東北の野球の聖地に 佐藤仁・南三陸町長に聞く
球場改修の発案者で、甲子園を経験した佐藤仁・南三陸町長に、球場や高校野球への思いを聞いた。
――宮城大会の会場に決まりました。
「昨年から高野連にお願いしていた。こんなにうれしいことはない」
――どんな球場ですか?
「プロ野球イースタン・リーグの公式戦をしたが、プロが『来年から2試合やりたい』というほどいい球場。天然芝なので思い切ってプレーができる。実は最初、土が硬い、私の踏んだ甲子園と違うと思った。でも今は硬めにするそうだ(笑)」
――高校野球の思い出は?
「津波で自宅が流され、思い出の品はすべて流された。震災前、毎年1回、当時のメンバーが集まっていた。そこで甲子園の話をすることはない。練習が厳しかったことなど、下積みの話ばかり。ベンチに入る、入らないも関係ない。みんなで甲子園を目指すという夢を持てることが、高校野球の魅力だ」
――今後、どんな球場にしたいですか?
「子どもたちが、あそこで野球をしたいと思える球場にしたい。東北の野球の聖地に育てたい」
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