戦後日本を代表する版画・彫刻家の一人で、戦争の残酷さと人間の不条理をユーモアと批判精神を込めて表現し続けた浜田知明(はまだ・ちめい、本名・ともあき)さんが17日午前1時25分、老衰のため入院していた熊本市内の病院で死去した。100歳だった。通夜は18日午後6時、葬儀は19日正午から、いずれも熊本市中央区河原町23の豊住葬祭で。喪主は長女宏子さん。

 1917年、熊本県高木村(現・御船〈みふね〉町)生まれ。39年、東京美術学校(現・東京芸術大)を卒業後、召集され、翌年中国へ歩兵として派遣された。戦後上京して銅版画制作を開始。戦争体験をモチーフとし、のちに戦後美術の記念碑と評される「初年兵哀歌」「風景」の連作を発表した。

 銃口をのどにあて足の指で引き金を引こうとする兵士を描いた「初年兵哀歌(歩哨)」は56年、スイスのルガノ国際版画展で次賞となり、注目を集めた。

 57年に帰郷。熊本短大(現・熊本学園大)教授などを務めながら、「群盲」「狂った男」など人間や社会を風刺した作品や、「ボタン(A)」「ボタン(B)」といった現代の核の恐怖を表現した作品を作り続けた。83年からブロンズ彫刻を始め、晩年は版画同様のテーマを、より端的にモノとして表現することに取り組んだ。

 戦争をテーマに正面から取り組んだ作品は海外でも高く評価され、79年、版画コレクションで最も権威あるオーストリアのアルベルティーナ国立美術館で展覧会が開かれた。89年にはフランス政府から芸術文化勲章シュバリエ章を受け、07年にはイタリアのウフィツィ美術館で作品が展示された。