後藤たづ子、福井悠介 大山稜
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オウム真理教の施設の捜索に向かう捜査員たち=1995年4月14日、熊本県波野村(当時)
「この村で、核兵器もつくっていたかもしれない。あれだけの無差別殺人を犯したのだから、死刑執行は当然だ」。熊本県波野村(現・阿蘇市)へのオウム真理教進出に反対する「波野村を守る会」の中心メンバーで、村長も務めた岩下一之信さん(78)は話す。
教団が阿蘇山のはずれにある原野約15ヘクタールを手に入れたのは、1990年5月。岩下さんは、教団が波野村に先がけて土地を手に入れた当時の山梨県上九一色村を訪ねて調べた。「許可なく施設の建設を進める。とんでもない団体だ」と感じた。
松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する東京地裁判決によると、この年の2月にあった衆院選で松本死刑囚らが惨敗、4月ごろになって無差別大量殺人の実行を教団幹部らに宣言した。波野村への進出は、その直後だった。後に、波野村の施設で90年秋ごろから、毒ガス「ホスゲン」などの製造工場をつくろうとしていたことが明らかになる。
実際、土地を入手した教団はすぐ、施設建設に着手した。最も近い場所に農地があった岩下浩徳さん(57)によると、大型トラックが行き来し始め、村が管理する道は勝手に広げられ、プレハブの建物がどんどん建っていった。
村民は6月、「波野村を守る会」を結成。教団に建設計画の説明などを求めたが拒否された。古くからの住人が大半を占める人口約2千人の村は、次々と信徒がやってくる状況を前に、「住民票を移されたら村が乗っ取られて、『麻原村長』ができる」と混乱に陥った。
8月には、計約400人の信徒と村民がもみ合いになり、十数人のけが人が出る事態も起きた。村は、約450人の転入届の受理を拒み続けたが、教団に訴訟を起こされ敗訴。94年夏、村が教団に9億2千万円を払うことで、教団は土地を明け渡すという内容で和解が成立した。村の年間予算の半分近い金額だった。
守る会の幹部だった飛田祖久美(ひだそくみ)さん(83)には、「もっと額を抑えられなかったのか」という思いもある。それでも和解によって、村民に死者が出る前に教団は出て行った。飛田さんは「あの時はあれでしょうがなかった」と振り返る。
死刑執行は「あれだけの罪をしている。間違いが二度と起こらない社会を実現するには、やむを得ない」。そう受け止める。教団施設の跡地はいま、荒れ地になったままだ。(後藤たづ子、福井悠介)
宮崎県小林市では1994年3…
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朝日新聞社会部