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 宮崎市の県立宮崎南高校の元野球部員、貴島大季(たいき)さん(19)が高校生活を振り返った作文が、6月に発売された「ぼくは泣かない 甲子園だけが高校野球ではない」(岩崎夏海監修、廣済堂出版)に掲載された。

 題名は「二本のバチ」。試合に出られなくても、スタンドから得意の太鼓で選手を鼓舞し続けた3年間の思いをつづった。

 太鼓が趣味の父康弘さん(39)の影響で3歳のときにバチを握った。小学生のときに父が所属する「和太鼓一座 天響(てんきょう)」(宮崎市)に入った。高校時代は野球部の練習後に週2回、3時間の稽古に励んだ。

 野球の試合では、五回終了後のグラウンド整備の時間が貴島さんの晴れ舞台。天響で培った曲にアレンジを加え、スタンドから大きな太鼓の音を響かせた。

 〈この時間はぼくにとって最高のパフォーマンスのショータイムだ〉

 作文では、学業、野球、太鼓を並立させる難しさにも触れた。

 〈へとへとになって家に帰りつくのは夜中の0時〉

 宮崎南OBで巨人などで活躍した元プロ野球選手、木村拓也さん(故人)に憧れて入った野球部と、幼いころから続ける太鼓。二足のわらじは自ら履いた。

 〈いつのまにかこのハードなリズムは日常のものとなっていた〉

 出場機会に恵まれなかった思いもつづった。

 〈私も高校球児の一人。スタンドではなくグラウンドでプレーしたい〉

 1年生大会から公式戦のメンバー入りがないまま、迎えた2年冬。ミーティングで佐々木未応(みおう)監督が言った「一、三塁コーチも立派なレギュラーだ」という言葉で、「それも一つの手だ」と切り替えた。冬の走り込みでは300メートルダッシュをだれよりも多く走り、率先して声を張りあげた。

 努力は報われた。「分け隔てなく仲間に接し、裏方の仕事も嫌な顔一つしない」と3年の5月、佐々木監督から背番号「19」を与えられた。県選手権でベンチ入りした貴島さんは、一塁コーチとして走者に大声で指示を出した。出場機会はなかったが「ベンチ入りはうれしかった」。

 7月の宮崎大会ではメンバー入りできなかった。

 〈今まで味わったくやしさとは比較にならない。だが、これから今までいっしょにやってきた仲間が、甲子園をかけた試合に挑むと考えると、いてもたってもいられない〉

 スタンドから太鼓の音を響かせ、4年ぶりの8強入りを後押しした。

 〈くやしさをぐっとかみ殺し、みんなに明るくふるまい、自分にできることは何でもした〉

 〈自分の手には数個のマメができていた〉

     ◇

 並立の日々は高校卒業後も続く。現在は、消防士をめざして専門学校に通う。学業の合間を縫って太鼓の稽古をし、専門学校の野球チームにも所属する。

 13日にあった宮崎南の初戦。貴島さんはスタンドに駆け付けた。「初戦が肝。『絶対勝て』と思って、バチを振り下ろします」と語っていたが、初戦突破はならなかった。3安打を放った坂本幸汰朗選手(2年)は「すごくありがたかった。力がみなぎってきた」と感謝した。

 貴島さんは「最終回、小学生から一緒に野球をやってきたキャプテンの森川瀬名君にヒットが出て良かった」と笑顔を見せた。(高橋健人、大村久)

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