「家族に伝えて」グアムの戦友は言った 元兵士が絵画集

編集委員・伊藤智章
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 太平洋戦争末期、グアム島での玉砕戦を生き残った元日本軍兵士による絵画集が今年、出版された。30年かけて戦いの様子を描いた164枚の絵を収めている。世に出す予定はなかったが、グアムでの戦死者の遺族らが出版を後押しした。

 グアムは太平洋戦争当初に日本軍が占領。1944年7、8月、奪還を期した米軍と日本軍との間で激戦となり、日本軍は約2万人が戦死した。

 絵の作者は元海軍戦闘機整備兵で戦後、長野県庁に勤めた小林喜一さん(93)=長野県小諸市。長女の喜美子さん(66)によると、帰国後、凄惨(せいさん)な記憶がよみがえり、戦友の遺族を訪ねた時には「なぜあなただけ生き残ったのか」と問い詰められたという。喜美子さんが3歳のころ、不眠症で1年間入院するなど体調不良にも苦しんだ。

 喜一さんは50歳ごろに突然絵を描き始め、30年続けた。絵は趣味でもなく、習ったこともなかったという。色鉛筆や水彩で画用紙に描いたのは、ほとんどが自ら体験したり、見たりしたことだ。

 敵の装甲車両部隊に軍刀や手投げ弾で突っ込み、次々戦死していく日本兵。決死隊を笑って見送る上官。米軍キャンプに忍び込んでの食料あさり。米兵に追われて飛び降りた崖。殺される心配がないので、うらやましく見えた黒い鳥……。

 密林での行軍途中に島民の牛車と行き違ったり、唐辛子がなっているのを見つけて故郷の善光寺で売ることを考えたりした絵もある。戦闘の合間に感じた「平時」をうかがわせる。

 認知症のために施設で暮らす喜一さんだが、絵を描いた動機について、真顔で「頭の中にあるものを出さないと、おかしくなってしまう」と話す。

 多くの絵には、当時の模様がびっしり添え書きされている。喜美子さんによると、多くの戦友から「生きて帰ったら家族に伝えてくれ」と言い残され、何とか伝えようと考えたらしい。しかし、昼間に熱中して描いた後の夜、喜一さんは必ず眠れずに苦しんだ。間近で見てきた喜美子さんは、いずれ絵を処分するつもりだった。

 だが、このまま絵が消えるのは惜しいと出版を勧めたのが、東京都北区の内藤寿美子さん(77)だ。生後すぐ父が召集され、グアムで戦死した。約10年前、戦友会で喜一さんと出会い、絵の存在を知っていた。

 内藤さんは、同じグアム玉砕戦の遺族の仁後雅子さん(77)=埼玉県狭山市=と、グアムの密林に28年間潜んだ元兵士、故横井庄一さんの妻、美保子さん(90)=名古屋市中川区=に声をかけた。喜美子さんも交え、製作委員会をつくり、約100万円の印刷費用などを分担した。

 「父はこうして死んだのか」。仁後さんにはそんな思いにかられる重たい絵だが、娘らの発案で絵画集に解説や英訳、クイズも盛り込み、若い世代も手に取りやすいようにした。

 内藤さんと一緒にグアムへ戦死者の慰霊に出かけたことがあった縁で加わった美保子さんも「本当は忘れたかったはずの戦争。よく生き残って描いてくれた。横井もやりたかったことでしょう」と話す。

 タイトルは「南の島に眠る戦友へ グアム帰還兵が描いた玉砕戦」。税込み千円。最初の千冊が売り切れ、500冊増刷した。申し込みは内藤さん(03・3905・0880、メールはheiwa20180401@gmail.comメールする)。(編集委員・伊藤智章)