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 京都府福知山市大江町は、水害の常襲地帯として知られる。西日本豪雨でも152棟が浸水した。集落には高齢者が多く、被害の後には過酷な後始末を強いられる。しかし、「今さらほかの土地には移れない」との声も聞こえる。

 「水が1階で止まればラッキー。そう思わないと住んでいられないから」

 強い日差しが照りつけた19日、居間の床板を外して片付けをしていた大江町河守(こうもり)の岸和田裕次さん(58)は、汗をぬぐった。玄関には約3メートルの位置に黒い汚れが残る。水は1階天井まで達したが、家財道具を運び上げた2階は難を逃れた。

 集落の裏手には、日本海に注ぐ由良川が流れる。大江町は豪雨や台風のたびに冠水を繰り返してきた。流域では由良川の氾濫(はんらん)対策として2004~16年に堤防が整備されたが、堤防の完成後は雨水などの内水が堤防の内側であふれる。

 岸和田さんの住む新町地区は特に地盤が低く、33世帯のうち17世帯が床上、5世帯が床下浸水した。被害はこの5年間だけでも4度目になるという。

 旧大江町が福知山市と合併したのは06年。人口は4415人、1925世帯が暮らす。65歳以上の高齢化率は42・2%で、福知山市全体と比べて12・8ポイント上回る。自宅を再建できずに集落を離れるお年寄りもいる。自治会長の溝谷仁司さん(67)は「高齢化と水害で、戸数はこの20年間で半分程度に減った」と話す。

 岸和田さんは「私一人だったら、ここを離れるでしょうね」と母の由利子さん(91)を見た。度重なる浸水と由利子さんの体調を心配し、今年3月に会社を早期退職。大阪府内から実家に戻り、母子2人で暮らす。水害で片付けに帰るたびに、由利子さんに「一緒に大阪に行こうか」と話してきたが、いつも「嫌だ」という返事だった。

 「母はこの土地しか知らない。人生の最後に見ず知らずの場所で暮らしても、寿命を縮めるだけだ」。そう考えるようになった。

 大雨で床上70センチが浸水した大江町蓼原(たでわら)の仁張(にんばり)将之さん(76)は、京都市内に住む長女から「もうこっちに来たら?」と言われた。京都府内で15人が死亡した2004年の台風23号の被害以降だけでも、床上浸水はこれで4度目になる。

 暗闇の中、濁った水が室内でじわじわと水かさを増す。階段からそれを見下ろす気味悪さは毎回同じだ。「ここを出ようか」と頭をよぎったことはあるが、「この家が私たちの終(つい)のすみか。新しい土地で人間関係を築くのは考えられない」と言う。

 ただ、年齢を重ねるうちに被害後の再建が体にこたえるようになった。「もう気力と体力がついていかない」。ここに住む限り、次もきっと来るだろう。「秋の台風かもしれないし、来年の豪雨かもしれない」と不安は消えない。

うどん屋「もう続けられませんね」

 一方で、豪雨被害をきっかけに、戦前から続いてきた小さなうどん屋がのれんを下ろそうとしている。

 「今回はもうだめだと思っている。私たちももう年だから」。そう語るのは大江町蓼原の荒木八重子さん(88)だ。夫の大典(だいすけ)さん(89)と一緒に「荒木食堂」を営んできた。大典さんの父が始めた店だ。

 浸水は数え切れない。以前の店も大雨で壊れ、現在の自宅兼店舗は1973年に建て替えた。2014年の豪雨では1階天井まで水が来た。昨年は床上10センチ。今回は1・8メートルだ。6月に買い替えたばかりの冷蔵庫をはじめ、家電製品はすべて処分。40年以上使い続けた製麺機も泥をかぶった。

 人気メニューはカレーうどん。大典さんが麺づくりを担当し、八重子さんが料理を担ってきた。営業する昼間の3時間、店を訪れるのは地元のなじみ客。「一人暮らしの人も、お昼を楽しみにきてくれたんだけど」と八重子さん。店の再開が厳しいのは、被害はもちろん、2人の年齢のこともある。後継者はいない。

 今回の豪雨後も夫婦で毎日のように消毒を続け、厨房(ちゅうぼう)の白いタイルを1枚ずつ磨いてきた。再開は難しいと分かっていても、「もしかしたら」とのかすかな期待を込めての作業だ。

 だが、冷蔵庫も製麺機も使えなくなってしまった。大典さんは「もう続けられませんね」とぽつりと言った。(安倍龍太郎)