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 戦後の焼け跡に、「会いに行けるご当地アイドル」がいた。若い女性たちが歌や踊り、劇を披露した少女歌劇団だ。九州各地にあったが、多くは数年で姿を消したとみられ、その足跡は断片的にしかわからない。若さと希望にあふれた「花」は、見る者を強く魅了し、励ました。

 「終戦後、八幡に少女歌劇団があったらしい」。北九州市八幡東区の住民からそんな話を聞いて調べ始めると、貴重な資料を持っている人がいた。

 市立八幡図書館に勤める富原まさ江さん(52)。エキゾチックなドレス姿、島田髷(まげ)に縞(しま)の着物の女性のブロマイドや、舞踏会のような場面の舞台写真。八幡に本拠があった「小柳少女歌劇団」のものといい、ブロマイドの佳人は看板女優だった母の千江子さんだ。

 千江子さんは今年1月、88歳で亡くなった。生前の話によると、3歳上で踊りが上手だったという小柳美代子先生に弟子入り。10~20代の他の生徒たちと劇団をつくり、1946年から本格的に活動した。常設の劇場はなく、数週間の巡業も含めて県内外に赴いた。大勢で踊るレビューのほか、セリフ劇は勧進帳からカルメンまで出し物は幅広く、楽団もいた。

 早くに父を亡くし、戦時には八幡で空襲に見舞われた千江子さん。「舞台の合間の休憩中、ぱっと日が差してきて『私、こんなに幸せでいいのかしら』と思ったわ」と語ったという。

 福岡県芦屋町の女性(86)は戦後の数年間、八幡の「白石歌劇団」に入り、女学校帰りに稽古に通った。会社勤めの団員もいて、歌や踊りが好きな女性たちが青春を謳歌(おうか)していた様子が浮かぶ。

 女性ばかりの劇団は、八幡製鉄…

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