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 がんの患者や経験者が、日常生活や仕事で困難を抱えないようにするためには、どんな環境を整えればいいのでしょうか。新たにがんと診断される人のうち、3人に1人は20~64歳の働く世代です。今回は、おもに職場での支援について考えます。

 朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

 

●「私は市町村の乳がん検診で要精密検査となり、その後明らかな悪性所見がないと言われた2カ月後に突然しこりが現れ、ステージ3の乳がん告知を受けました。『乳がんは早期発見=早期ステージ』と報道等で目にしたり『早期発見で良かったね』と励まされるたびに落ち込みました。がんをひとくくりにするのではなく、個人によってタイプや治療法、治療の副作用も異なることへ理解が進むと良いと思います」(東京都・40代女性)

 

●「自分の場合、年に1回の人間ドックではがんが見つからなかった。かなり深刻な自覚症状を感じてから2カ月後に、やっと病院に行くことができた。当時の上司は、私が平日に大病院で検査を受けたいと懇願しても、大げさだとか怠けるための言い訳だと言い張って、絶対に休暇を認めてくれなかった。検査の結果、急進行で悪性度が最悪のトリプルネガティブ乳がんだと判明し、既にリンパに転移していた。もう少し早く検査に行けたら、リンパ転移の前に手術できたかもしれないと思う。その上司は、私のがんのことを知らないまま異動して行ったが、一生恨み続けると思う」(東京都・50代女性)

 

●「11年前、がんに罹患(りかん)したサバイバーです。いまだ、配偶者以外にがんに罹患したこと、サバイバーであることは口外していません。親、兄弟にもです。がんについての偏見は大きく、無責任な放言に心を痛めます。医療に関する情報があふれかえり、センセーショナルな内容ばかりが消費され、独り歩きをして、正しい情報が埋もれてしまうせいかもしれません。同じような思いをされている方がいらっしゃるのではないかと思うと、涙が出ます」(大阪府・50代女性)

 

●「友人は隠さず発信することで、自分でなく家族をよろしくと周りに伝えました。子どもたちのことを特別扱いしないでほしい、と。ママ友みんな普通に頑張って接しました。彼女は病気がわかって今年10年目になります。何回かの再発を乗り越え一昨年骨髄移植をし、寛解状態。うれしいです」(栃木県・50代女性)

 

●「私の場合は、会社と顧客から十分な理解が得られ、復職時も以前と同じ部署で同じ仕事を担当させてもらいました。退院後は体がきついということで、定期的な会議も客先に出向くことなく、自社から電話で参加させてもらいました。また、仮に会議の最中でも定時で退社できるように、私の担当部分から会議を進めていただくなどの、配慮をしていただきました。体調を気遣いながらも、仕事は任せてもらえ、モチベーションを維持しながら復職できました。がんでは、治療中も大変ですが、復職時も大変です。体調を心配して楽な仕事に回され、やる気を失うといったことも多いと聞きましたので、私は幸いだったと、思っています」(埼玉県・60代男性)

 

●「現在40歳独身で余命2年の末期がん患者です。両親も高齢のため相談できず、親戚も疎遠のため、誰にも頼らず仕事をしながら日々暮らしています。体調や薬の副作用でつらい日も、理解のある職場でなければ、働きながらの生活は厳しいと思います。私のように独身が増えてる時代です。体調により休みたくても、休めばお金が入ってこないので、働かざるを得ない人が多いのではないでしょうか? 頼るところがない人が少なからずいると思います。時間や働き方など、融通が利く職場が増えることを願ってます」(福岡県・40代女性)

 

●「診断され、早期の手術を勧められたが、繁忙期のため休暇がもらえるとは思えず、閑散期で比較的影響が少ないと思われる時期まで術日をずらさざるをえなかった。早期復帰できないなら……と退職を暗に勧められたため、診断書に術後1カ月の療養が必要と記載してもらった(本当は3~6カ月)。抗がん剤治療についても入院日・投与日・退院日のみを通常の休暇で賄い、有休もとらせてもらえなかった。独り身であるがゆえに仕事を辞めることはできないと強く思い込んでいたためとてもとてもつらかった。術後1年たちますが、やっと冷静に治療説明や診断書(保険提出用)を読み返すと無理ばっかりしていた(る)なと思います。環境は大事ですね」(千葉県・40代女性)

社員の治療、復職後も支える 松下産業、10年で12人が仕事と両立

 東京都文京区のゼネコン「松下産業」は、がん治療と仕事の両立支援に取り組んでいます。社員は約230人。過去10年間に会社の健康診断でがんが見つかり、治療をしながら仕事を継続した社員は12人。現在も7人の社員が、がんの治療をしながら仕事を続けています。

 2013年に採用、教育・研修、子育てや介護支援、健康管理など人に関することを一元的に取り扱う「ヒューマンリソースセンター(HRC)」を設置。松下和正社長(62)は「社員の人生全てを扱う」と話します。がんと診断された時は、ワンストップで社員の相談を受け付けます。社員が療養期間に入る前には、「安心して治療に専念できるように」と給与、業務、保険や病気についても、誰に相談したらいいかを一覧にした案内文書を作ります。抗がん剤治療に不安のある社員から相談があれば、医師との診察時に聞くべきことをリスト化して渡します。

 グループ企業の松下環境産業の取締役、和田道雄さん(63)は13年秋、先輩社員に「声がおかしいぞ」と指摘され、病院にいくと、ステージ2の喉頭(こうとう)がんと診断されました。入院の際は、HRCの担当者が病院まで出向き、会社の制度や治療に利用できる公的な制度について相談にのります。和田さんの入院時にも、病院に来た担当者と退院後の復帰について話し合いました。

 和田さんは当初、「もう終わりかな。仕事は辞めなくてはならないかもしれない」と思っていましたが、担当者から「声が出なくなってもできることはある」と言われ、勇気づけられたと話します。

 その後、抗がん剤と放射線治療で、4カ月近く入退院を繰り返しました。放射線治療に通えるように、午後4時で勤務を終えられるようにしたり、工場など現場を回る仕事から事務系の仕事を増やしたり。会社は、和田さんが部署を変わらずに治療と仕事を続けられるような配慮をしてくれました。

 HRCの斎藤朋子センター長(50)は「特に制度として設けているわけではなく、社員の事情に合わせて柔軟に対応するのがうちのやり方」と言います。子育て中の社員が託児所に迎えに行く時間などにも同様に対応していて、人が足りなくなれば都度、派遣社員を雇うなどして支援部隊を送っているそうです。

 復帰後、希望する社員には社内報に闘病記を書いてもらいます。斎藤さんは「治療を続けながら仕事をし、回復していく姿を見て、周囲も両立できるんだと実感できます」。

 社長の松下さんは「中小企業だからこそ、社員一人ひとりに目配りができる。安心して働ける環境を作ることは、経営面でもいい影響を与える」と話しています。(月舘彩子)

経験者がサポート役に プロジェクト立ち上げ、大阪ガス・谷島雄一郎さん

 がんになったとき、仕事や社会にどう向き合い、自分の居場所をどう見つけていけばいいのか。働き盛りにがんになり、会社勤めを続けながら、がん経験者らと社会課題の解決を目指すプロジェクトを立ち上げた、大阪ガス勤務の谷島雄一郎さん(41)に話を聞きました。

     ◇

 34歳の時、会社の健康診断で食道にGIST(消化管間質腫瘍(しゅよう))という珍しいがんが見つかりました。ステージ4で病状はシビアでした。長女が生まれたばかり。青天のへきれきでした。通院して抗がん剤治療を受けた後、手術をすることになりました。

 当時は念願だった都市開発の部署に所属し、やりがいも感じていました。信頼していた上司に報告する際に心がけたのは、必要な情報を冷静に伝えること。病名、治療方法、通院や入院の日数、副作用や予後のリスク……。やりがいある仕事は諦めたくなかった。治る可能性もある。働き続けたいと率直に伝えました。上司はしっかり受け止めてくれ、仕事内容も自分のペースで企画できる方向性を与えてくれ、私が案を出しました。苦しい中でも、良い関係が築けました。

 ですが、手術から1年後、肺に転移が見つかりました。治る見込みはほぼない。この事実を会社に報告するときはつらく不安でした。

 患者歴も1年になっていたので冷静に考えました。病名、病状、どういう配慮が必要なのかを書き出し、上司に渡しました。私の場合は、①免疫機能が低下しているので人混みでの仕事はできない、②食後に強い倦怠(けんたい)感や腹痛に襲われるため、会食や昼一番の会議は避けたい……。この方法は有効だったと思います。

 ただ、開発の仕事を同僚に引き継いだときは、悔しくて落ち込みました。自分の価値が奪われていくような感覚を覚え、どうしようもなく救いがなかった。

 それが、様々ながん経験者と出会う中で、徐々に考えが変わっていきました。病気になったからこそ見える景色があるのだと。それを生かして、子どもたちの未来のためになる活動をしたい。そう思うようになり、仲間と「ダカラコソクリエイト」という、がん経験者だからこそできることをテーマにしたプロジェクトを立ち上げました。

 病気になった時、うれしかった励ましの言葉を募ってラインスタンプにする企画も立ち上げました。会社もバックアップしてくれました。

 一度は負荷のかかりにくい内勤の仕事を勧められましたが、やりがいを優先したかったので、そのままの仕事をさせてもらいました。そこからより積極的に企画を提案するようにしました。できる限り、攻めの仕事をして、居場所をつくり続ける。支えられるだけの一方通行の関係では肩身が狭くなりがちです。

 がんの経験者が職場とがんの社員をつなぐ役割を担うといいと思います。肩書を持つと話しやすくなる。がんになると、自らの価値を見失ったり、罪悪感、劣等感、孤独感を抱えて悩んだりする人が多い。個別性も高く、引け目があるのでなかなか言えない。なりたての患者は特にそうです。

 会社にサポーターになれる経験者がいれば、その人に「経験者」としての立場からサポートする役割を担ってもらい、経験を伝えて助言できればいいですよね。役割をつくることで自然に語れる。がんを経験した社員は、負の経験もプラスにできる力を持っている大事なパートナーなのだと、理解してもらえるといいですよね。

 

<アピタル:オピニオン・メイン記事>

http://www.asahi.com/apital/forum/opinion/(聞き手・山内深紗子)