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 西日本を襲った豪雨で、広島県警に勤務する山崎賢弘(かつひろ)さん(29)は、帰宅途中に災害現場に遭遇し、住民を避難させる途中で土砂に流されて死亡した。母の美智子さん(59)は、息子が警察官の仕事を全うしたという思いと、我が子を失った悲しみのはざまにいる。いまの思いを聞いた。

 7月6日夜、呉署に勤めていた賢弘さんは同僚の晋川尚人さん(28)と車で広島市の自宅に帰る途中、濁流にのまれかけていた数台の車を見つけた。晋川さんと住民を避難誘導し、7人の命を救った後、土砂に流されて行方不明になった。

 6日の午後7時45分に嫁に電話しとるんよ。「いまから救助せにゃあいけんけえ」いうてね。なにもあんな雨の激しい日に、家に帰らんでもええのに。まだ娘が9カ月じゃけえ、会いたかったんじゃろうねえ。

 広島市に入って、安芸区の県道で土砂が怖くて立ち往生しとる車がおってね。窓をたたいて、「呉署の警察官です」って避難を誘導したんよ。

 勤務時間外なんじゃけえ、出て行かんでもええのに。でも生還者がおったけえ、賢弘の最期がある程度わかって、ありがたい気持ちもあるんよ。

 それに賢弘の性格じゃったら、出ていかんで自分が生き残っとったら、一生後悔しとるじゃろうけえ。自分だけが逃げられる性格じゃない思うよ。

 賢弘さんは、4人きょうだいの3番目。大学を卒業するまで実家から通った。きょうだいの中でも両親と最も長く過ごしてきた。

 三つか四つのころじゃったか、親戚で集まっても、賢弘はすすすっと親戚に近づいていって、にっと笑って和ませとったんよ。いい笑顔しとったね。

 一緒におって心が落ち着いたし、歩いとったら荷物を持ってくれて。彼女に弁当つくって、「交換するんじゃあ」言うとったこともあったね。この子の彼女になる人は幸せじゃと思っとった。

 「お母さん、いま遊ばんかったらいつ遊ぶん」って言うて、高校や大学では部活でバドミントンやったりして遊んどった。でも家事とか草刈りとか頼んでも、たいぎい(面倒くさい)のうとか言わず、わかったって言って手伝うてくれたんよ。

 2011年に警察官になった。その後も賢弘さんは頻繁に実家に顔を見せた。

 警察官になるって聞いたときは正直、危ないけえやめときんさいやって思うたんよ。どうしても命を張ったりする仕事じゃけえね。じゃけど警察官になって、仕事が嫌とか一回も言うたことなかった。

 「今日、こんなことがあったんよ」って、よう話してくれたんよ。交通課におってね。事故現場とか行ってあたふたしとる人がおってもなだめてから、「こんなに親切にしてもろうたことはない」とか言われたって言うとったね。

 6年くらい前には、保護された犬を段ボール箱に入れて持って帰って、「かわいそうじゃけえ、飼っちゃってえや。明日には保健所に行ってしまうんよ」って言ってきてね。

 何でか優しい子じゃったねえ。困っとるもんを見捨てられんかったね。走馬灯のように思い出すねえ。

 賢弘さんと最後に会ったのは、昨年の暮れだった。

 娘ができてからは、忙しいじゃろうけえ、あんまり連絡しとらんかったんよ。連絡したら賢弘は心配して帰って来る思うたけえね。

 それでも6月20日には、お父さんが「手伝いに来てくれんかね」ってメールしてね。別に手伝って欲しかったわけじゃないんじゃけど、たまには野菜を渡したい思うてね。口実よね。ほいでも忙しかったみたいで会えんかったけどね。

 賢弘さんは昨年7月16日に結婚式を挙げた。1年後の同じ日に、遺体は見つかった。

 五体満足で帰って来てくれたんは、せめてもの救いじゃった。遺体に対面したときは、私のところに生まれてきてくれてありがとう、母さん幸せじゃったよ、寂しいけど、悲しいけどって言うたんよ。私の方が幸せをもろうた思う。

 あの子は最後に、あそこで仕事せんといけんかったんよねって、思うことにしとる。7人も助けてよう頑張ったねって、褒めてあげたいんよ。現世は三十年じゃったけど、人助けしたんじゃけえ、来世はいいところで生まれてくれるはず。

 じゃけどね、三十までの命じゃいうて、神様に送り出されたとでも思わんと、割り切れんよ。親としてはね。そうやって、寂しさを小さくするしかないんよ。(茶井祐輝)

     ◇

 呉署交通課の山崎賢弘さんと同僚の晋川尚人さんは、ともに避難誘導中に流され、晋川さんは18日に死亡が確認された。2人は巡査長で、6日付で警部補に2階級特進した。

 警察庁によると、今回の豪雨の死者は全国で224人にのぼる。