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 《28年前の秋、東京・上池袋の病院に入院していた僕に、一杯の温かいうどんを届けてくれたあなた。今、どこにいますか? 会いたいです》

 中国・上海で会社を経営する孫立平(スンリーピン)さん(55)は、スマートフォンで日本の友人たちに、そんなメッセージを送っている。拡散してもらい、一人の女性に届くことを願って。

 1990年春、孫さんは上海から東京にやってきた。27歳。大学卒業後に6年続けた仕事を辞め、日本の大学院で学びたい、と夢みていた。

 通い始めた日本語学校の学費、風呂なし6畳一間のアパートの家賃……。仕送りはない。授業が終わるとアルバイト。そんな日々が始まった。

 女性と出会ったのは、バイト先の写真現像店だった。年は50歳くらい。パートで週に1、2回、自転車で店にやって来た。笑顔が穏やかで、旅行土産のお菓子をよくもらった。

 その年の秋、孫さんはツイてなかった。

 10月。銭湯に行こうと狭い路地を歩いていたら、蛇行運転してきた車にぶつかり、病院へ。車は逃げ、治療費を支払う羽目に。退院後、さらにバイトを増やした。

 11月。料亭でのバイト中に腹が痛み出した。病院に行く金はない。我慢して働いた。次の日、アパートで動けなくなり、病院に運ばれ、腹膜炎で緊急手術を受けた。

 病院食は少なくて、満たされなかった。なにより、異国の地で一人過ごす病室の夜は寂しかった。

 そんな時、写真現像店の女性が、温かいうどんの丼を手に来てくれた。

 「私にも孫さんと同じくらいの息子がいてね。シルクロードの文化が大好きで、夏休みに敦煌に行きました。中国で息子が困ったとき、親切な中国の人に会えたらいいな。そう思っていたんです」

 当時は日本語がうまく話せず、「ありがとう」としか言えなかった。

 その後、名古屋の大学院に進学。上海に戻って会社を起こした。

 池袋にあった写真現像店は、いまはない。女性の名前は、たしか「木村さん」。でも、自信が持てない。だから、メッセージにはこう書いている。

 《○村さん、あの時のうどんの味があったから、日本でも上海でも頑張れました。会って、ちゃんとお礼が言いたいです》(上海=宮嶋加菜子)

うどん届けたのは私 孫さん、探してくれてありがとう
記事掲載後、朝日新聞の支局に電話がありました。「記事の女性は、わたしです。元気にしております」