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 西日本豪雨で大きな被害が出た広島県坂町の小屋浦地区。海の近くまで山が迫り、天地(てんち)川沿いを中心に約800世帯が住む。被害が集中した地域には、100年以上前に44人が死亡した土砂災害を伝える石碑があったが、悲劇は繰り返された。

 今回の豪雨で、天地川の河口から1300メートル上流の砂防ダムが崩壊し、土石流が集落を襲った。支流域も含め、地区全体で15人が死亡、1人が行方不明になった。うち上流の小屋浦4丁目の住民が10人、下流の2~3丁目が6人。16人の平均年齢は78歳だった。

 この地区では1907(明治40)年7月にも大雨で土石流が発生し、甚大な被害が出たことがあった。町史などによると、その3~4年後の10年と11年、2基の石碑が建立された。被災の生々しい状況が漢文で記され、死没者全員の名前が刻まれている。当初は河口付近にあったが、2004年にいずれも川沿いの公園に移設された。お年寄りがゲートボールを楽しむ一角だ。

 4丁目の山あいに住む西山シマ子さん(87)は公園を散歩する時、石碑に手を合わせてきた。犠牲になった祖父母らの名前が刻まれているからだ。小さい頃から「この辺は100年に一度、大事(おおごと)がある」と聞いてきた。砂防ダムの完成は1950年。住民も材料の石を搬入する作業に加わり、「これで100年は持つ」と歓迎したという。

 天地川は堤防の幅が最大10メートルほどの小さな川で、流量も少ない。川の近くに住む女性(76)は泥だらけになった自宅の片付けに追われながら、「昔は泳いだり洗濯をしたりしていた。あんなに荒れた川は初めて見た」と話した。豪雨の後、石碑のことを思い出し、「前もこんなんじゃったんやろか」と初めて身をもって考えたという。

 県によると、崩壊した砂防ダムは高さ11・5メートル、幅50メートルの石積み構造。15年2月の定期点検では「経過観察」とされ、補修の緊急性はさほど高くないとされた。県は今回の土石流で崩壊したのは、「せき止め可能な9千立方メートルを上回る土砂が押し寄せた」のが原因とみている。

 一方、県は1基では万が一に対応できないとして、4倍の能力を持つ2基目を造る計画を10年以上前に策定していた。現在、工事用道路づくりに着手しているものの、本体着工の時期は決まっていない。その隙間を突くように、今回の水害は起きた。

 坂町の坂郷土史会は明治の水害から100年が過ぎた08年7月、町内で「水害史料展」を開催し、「山や崖に囲まれた地形では、集中豪雨に遭遇すると被害は必至」と警鐘を鳴らしていた。ただ、同会副会長で地元に住む中屋敷康さん(78)は「実際に起きるとは予想もしなかった」と打ち明けた。

 石碑を今の場所に移転させたのは住民組織の「小屋浦講(こう)連合会」。移転した後、お盆前に毎年、石碑周辺の清掃活動を続けてきたが、今年は見送る。会長の山下幸博さん(66)は言う。「川は長い間安全だったので大丈夫と思っていた。自然の恐ろしさを身をもって知った。災害はいつ起こるか分からない」(遠山武)