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 1カ月前の西日本豪雨は、岐阜県でも河川の氾濫(はんらん)を起こした。岐阜県関市北部の上之保地区では長良川の支流・津保(つぼ)川から水があふれた。11棟が全壊、202棟が半壊、102棟が一部損壊し、634棟で床上か床下浸水したが、死者は1人だった。人的被害が広がらずにすんだのは、なぜだったのか。

寝ずに水位を警戒

 7月8日午前2時ごろ。上之保地区で、津保川から30メートルほど離れた民家に住む吉田洋子さん(82)は、防災無線から流れるサイレンの音で目を覚まし、すぐ体に違和感を覚えた。

 「畳が浮いている」

 川の水があふれて床上まで達し、布団もパジャマもぬれていた。よろめきながら、たんすの上の貴重品袋だけを取り、長女に背負われて坂の上まで逃げた。

 避難所で夜を明かし、自宅に帰ると、1・8メートルほどの高さまで水の跡があった。家の中には自動販売機も流れ込んでいた。

 地区への避難指示は氾濫後の8日午前2時37分。軽ワゴン車に乗ったまま用水路に転落して1人が死亡したが、家にいて流された人はいなかった。

 多くの住民は寝ずに川の水位を気にしていた。高木しのぶさん(40)は家の中から自宅裏を流れる津保川を観察。水位の上昇を見て、8日午前1時半までに避難準備を始めた。玄関から濁流が流れ込み、腰の高さの水をかき分けて逃げたのは、程なくしてだった。

過去の経験生きる

 住民らは過去の経験も口にした。県などによると、上之保地区の前身である旧上之保村では1999年9月の豪雨で津保川があふれ、浸水被害が出ている。2000年9月の東海豪雨の際にも川は増水した。

 川の近くに住む栗田美津子さん(77)は「道路を渡ろうとして、流されかけたことがある。今回はむやみに外に出ず、2階へ逃げた」と振り返る。

 自宅裏に津保川が流れる小森一美さん(61)は床下浸水の経験があり、家の中から川の様子をうかがっていた。「やばい、もう来る」。小森さんがそう思った直後、水位は急上昇し、急いで2階へ避難した。午前2時前のことだった。「安心だと構えていたのが甘かった。あと1メートル浸水していたら、命はなかった」

短時間の記録的豪雨、最大の要因

 岐阜地方気象台によると、氾濫に先立つ7月5日に関市ではアメダスの観測で1日の合計雨量が289ミリという記録的な雨が降っていた。しかし、1時間雨量の最大値は30ミリ。一方、7日夜からの強雨では、レーダーによる解析雨量で8日午前1時までの1時間に約100ミリの猛烈な雨が降った。岐阜県は短時間の記録的な豪雨が氾濫の最大の要因とみている。

 上之保地区で現地調査をした岐阜大学流域圏科学研究センターの原田守啓准教授(河川工学)は、住民が警戒しているさなかの氾濫だったことが人的被害の拡大を招かなかったのではないかと推測する。

 原田准教授は「真夜中とはいえ、折からの大雨を警戒してまだ起きていた人も多い時間帯であったことから、(上階に逃げる)垂直避難といった安全確保のための行動が円滑になされた可能性もある」と話す。

 「もしも、警戒を強める前にいきなり大雨特別警報クラスの雨が降ったり、越水の時間がもっと遅く寝静まっている時間だったりしたら、人的被害はもっと拡大していたのではないか」(室田賢、山野拓郎、吉川真布)