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 茨城県常総市(旧飯沼村)出身の杉本恭子さん(72)=東京都狛江市=は3年前、「広河村異聞 戦前・戦中茨城県教育史」を発刊した。心中した警察官一家、国民学校長を辞職した祖父……。戦時中の価値観が崩れ、動揺する人々の様子を克明に記している。

 常総市鴻野山の水生寺の一角。大小二つの地蔵が並んで立ち、目の前の県道を行き交う車を見下ろしている。由来を記す裏面には「殉ぜられた」との文言がある。戦時中、寺の向かいにあった駐在所に勤務し、敗戦直後に命を絶った久保田京巡査一家7人の霊を弔う「親子地蔵」だ。

 杉本さん(旧姓篠崎)はそこから歩いて5分もかからない家で生まれ育った。

 実家を出て都内に住んでいた1970年、23歳の時、祖父の憲三さんが75歳で世を去った。「これでおじちゃんの一生は終わったのか」。臨終を見届けた祖母とよさんが、うつろな表情でつぶやいた。その一言が耳から離れなかった。

 憲三さんは杉本さんが生まれた46年、勤めていた国民学校の校長職を辞職。気丈なとよさんに比べ、子どもの頃に接した憲三さんの印象は薄い。戦争体験を語ることもあまりなかった。 「なぜ、校長を辞めなければならなかったのか」。疑問を抱いて、祖父の時代をさかのぼって調べたところ、久保田巡査一家の心中事件が、辞職の引き金になったことを知った。

 久保田巡査は敗戦から2日後の1945年8月17日、妻と子ども6人と心中を図り、子ども1人を除く一家7人が亡くなった。遺書には「敗戦国民として生きる希望を失った」という趣旨の文言が書かれていたという。

 憲三さんは心中事件があった晩の遅くまで、村長と巡査の3人で話し込んでいたという。憲三さんの死後、とよさんから初めて聞く話だった。「心中をとめられなかったことに責任を感じたのでは」。とよさんは杉本さんにそう語った。

 さらに調べるうちに、巡査の子どもと直前に会っていた女性を探しだした。心中を目前にした子どもはどんな様子だったのか、証言を求めた。尋ねた途端、穏やかな口調が一変し、「あなたは当時の空気をなにも分かっていない」と激しい口調で質問を遮られた。

 正しいとされた軍国主義が一夜にして否定され、精神的な混乱を強いられる。女性の反応に、戦争の罪深さを思い知った。

 ケアマネジャーの仕事を7年前に退職。時間ができて本格的に執筆に取り組んだ。地元や国会図書館で集めた資料は衣装ケース一箱分。歴史を専門的に学んだ経験はない。文章の書き方はカルチャーセンターで覚え、戦後70年の2015年7月に自費で出版した。

 出版に難色を示した親戚も今では「よく書いてくれた」と喜んでくれるという。思い立ってから出版まで45年の歳月を要した。杉本さんは「人は生まれる時代を選べない。自分もあの時代に生きていたら、軍国少女になっていたかもしれない。戦争に巻き込まれた地域の歴史を未来のために知ってもらいたい」と話している。 「広河村異聞」は1500円(税別)。発行は青山ライフ出版(03・6683・8252)。(鹿野幹男)