[PR]

西日本豪雨から1カ月

 家のあった場所は更地になり、土囊(どのう)が積み上げられている。崩れた裏山は山肌があらわになったままだ。漁業とかんきつ類で知られる瀬戸内海の怒和(ぬわ)島(松山市)。井上繁人(しげひと)さん(65)は息子の妻、麻衣子さん(36)とその長女の陽葵(ひなた)さん(9)、次女の結衣(ゆい)さん(6)を失った。

 7月7日未明、家がまるごと土砂にのみ込まれた。救助は夜を徹して行われた。「たぶん(子どもの)足元近くにおる」。家から自力で出てきて、救助に加わっていた息子が言った。麻衣子さんは地震があるとすぐに起き、2人の子どものところに行っていたからだ。発生から約12時間たった7日の昼ごろ、麻衣子さんは2人の足元近くから見つかった。

 看護師だった麻衣子さんは結婚で島外から来た。繁人さん宅と同じ敷地の隣の家に住み、家業のミカン栽培を手伝ってくれた。「『すばらしい女性を連れてきた』とみんなで喜んだ」

 近所の女性(72)は数年前に「何もない島に来て大変やろ」と麻衣子さんに尋ねた。「家族が一緒におるだけで十分よ」と返ってきた。女性は「子どもの声が聞こえるだけで、年寄りは元気になれた。島に来てくれてありがとうと言いたい」と話した。

 結衣さんは今春、島に一つだけの小学校に入学。麻衣子さんはこども園のアルバムに「ていねいにとりくむことができるゆいちゃん。しょうがっこうでもゆいらしく、のびのびすごしていってね」とつづった。

 姉妹の学校の行事や発表会の前は、付きっきりで練習していた。繁人さんは「2人を大学に行かせるためのお金をためていた。島の生活にも慣れて、これからだったんです」と話した。(藤井宏太)