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 220人あまりの命を奪った西日本豪雨。九州から東海の11府県に大雨特別警報が出始めたあの日から、6日で1カ月がたつ。大切な家族や友人を失った人たちは悲しみを抱えながら、前を向こうとしている。

 今なお多くの人々が過ごす岡山県倉敷市内の避難所。同市真備(まび)町の丸山保子さん(72)は1人で避難生活を送っている。夫の勇さん(77)を失った。「私をなんとか助けようと、無理をしたんだと思う」

 7月6日夜、市の防災無線が避難を呼びかけていた。自宅は小田川の支流・末政川から西に約100メートル。娘2人が巣立ち、約15年前に夫婦の「終(つい)のすみか」として2階建てから平屋に建て替えていた。

 約40年前から住んでいるが、どんなに雨が降っても自宅が浸水したことはなかった。「今回も大丈夫だろう」。午後9時に夫婦で寝床に就いた。

 「大変だ。窓のすぐ下まで水がきとる」。勇さんの声で目が覚めた。携帯電話の時刻は午前0時。水で畳が浮いてきた。

 犬のタロウを抱え、はしごでロフトに上った。勇さんが「おまえはここで頑張るんだぞ」とタロウを屋根裏に置いた。部屋の電気が消えた。懐中電灯で照らすと冷蔵庫が浮いていた。

 勇さんが向かいの人に携帯電話で「うちは2階がない。避難させてくれ」と頼んだ。「2階の窓を開けている、早く来な」と快諾してくれた。水はロフトまであと約30センチに迫っていた。でもロフトには窓がなく、外に出られない。

 玄関から出るしかないとロフトから下りた。床に足が着かないほど水は深かった。立ち泳ぎで壁をつたい、玄関に着いたが、ドアノブは水の中。保子さんが潜ってドアを開けようとすると、水圧でびくともしなかった。

 「ロフトに戻ろう」と声をかけたが、勇さんは何も言わずに水に潜った。もう一度ドアを開けようとしたのかもしれない。だが、勇さんはそれきり浮き上がってこず、姿が見えなくなった。

 保子さんは、勇さんがタロウにかけた言葉を思い出した。「自分はタロウと生きなきゃ」。力を振り絞ってロフトに戻り、「お父さん戻ってきて」と何度も叫んだが、返事はなかった。

 「お父さん、守ってください」。壁や屋根をたたき続け、どれくらいたっただろう。屋根から「今から助ける」との声が響いた。救助隊が金づちやバールで屋根に穴を開けてくれた。顔が水に浸る寸前だった。

 周囲は茶色の湖のようになっていた。タロウを抱いてボートに乗り、避難所へ向かいながら心の中で呼びかけた。「お父さん、後で迎えに行くからね」

 9日、自宅の玄関付近から遺体が発見され、その後、勇さんだとわかった。

 将棋が趣味だった勇さん。会社を定年退職した後に体調を崩してからは自宅にいることが多く、週末に将棋のテレビ番組を見ることを楽しみにしていた。最近、保子さんが「将棋、覚えてみようかな」と話すと「おまえにはわからん。将棋は奥が深い。無限なんじゃ」と笑っていた。

 勇さんの葬儀の数日後、保子さんが娘2人と片付けのため自宅に戻ると、居間で勇さんの財布を見つけた。中から新婚旅行で鹿児島県に行った時の写真が出てきた。口数が少なく、気難し屋の夫が、写真を持ち歩いていたことに驚いた。泥を払い、破れた場所をテープでとめて、ポーチに大切にしまった。

 「けんかもいっぱいしたけど、自分にはこの人しかいなかったかな」。写真を見ながら、保子さんは話した。(玉木祥子)

泥水に消えてしまった妻の声

 お父さん、お父さん! 叫び声が片山穣(みのる)さん(86)の耳を離れない。この1カ月、妻千代子さん(88)を思い出さない日はない。

 7月6日、岡山県倉敷市真備町有井の自宅で、足腰が弱くなった千代子さんを支えて風呂に入り、1階奥の寝室に並んだベッドで眠りに就いた。60年連れ添った2人のいつもと同じ夜だった。

 翌7日午前6時ごろ、チャイムで目覚めた。「川の水が出るかも知れない、避難して下さい」。そう話す近所の女性のくるぶしまで泥水がきていた。

 パジャマのままベッドに座っていた千代子さんは「お父さん、洗面器持ってきて。水出そう」。掃き出し窓を開けると、外の水はすでに深さ50センチほどになっていた。「そんなことで追いつくか」。穣さんは2階への避難を考えた。

 ベッドから階段まで3メートルほど。だが、千代子さんは数年前にひざを痛め、人工関節を入れていた。昨年末には股関節を骨折して入院し、春に退院したばかり。外では杖を使い、自宅でも壁や家具をつたってゆっくり歩くのがやっとだった。千代子さんを背負う力はもう穣さんにない。

 水は室内に入ると、かさを増した。穣さんは階段に行き、手を伸ばした。「はよこい。はよ、はよこい」。だが千代子さんは進めない。足から腰、腰から胸へと、泥水は千代子さんの体を隠していく。

 応接間のサイドボードが浮き、互いの視界を遮った。「お父さん、お父さん!」。叫び声だけが聞こえた。「水だけは飲んじゃいけんぞ、絶対いけんぞ」。穣さんは水が増えるとともに階段を少しずつ上がっていかざるを得ず、2人の距離は開いていった。やがて千代子さんの声は聞こえなくなった。

 穣さんは間もなく2階の窓から救助された。「下にまだおるんじゃ」と伝えたが、どういう返事だったか覚えていない。ただ、海のように泥水が広がった光景を見て、覚悟した。9日、千代子さんの遺体は階段の前で見つかった。

 約50年前、新興住宅地に建てた2階建てを、千代子さんは気に入っていた。足が不自由になる前は、玄関先をたくさんの花で飾っていた。遠出しても「家が一番」といつも日帰りだった。その自宅が水につかるとは、思ってもいなかった。

 「紙一重のところで助けれなんだ」(佐藤栞)