被爆73年を迎えた広島。6日午前の平和記念式典には、被爆者や遺族など約5万人が参列し、平和への思いを新たにした。式典が終わっても、平和記念公園には世界中から人が集っている。午後も各地の「原爆の日」を追う。

【英語版】OnAug.6,Hiroshima prays for hibakusha,flooding victims
被爆73年となる広島原爆の日を海外にも発信。8月6日のタイムライン、英語版の記事はこちらです。

願い込めた灯籠、川面に(19:40)

 広島市中区の原爆ドーム近くを流れる元安川。今年も亡くなった被爆者らを弔う灯籠(とうろう)流しがあり、約1万個が川面をゆっくりと流れていった。

 灯籠の火は、福岡県八女市星野村に保存されている原爆投下直後の「残り火」から採火している。

 「平和な世界が続きますように」「子どもたちに輝く未来を」――。川沿いには多くの人が訪れ、それぞれの願いを込めて書いた灯籠を流し、静かに手を合わせて黙禱(もくとう)していた。(原田悠自)

ピースライン、球場にくっきりと(19:30)

 73回目の慰霊の夜を迎えた広島。6日夜、広島市のマツダスタジアムで原爆ドームと同じ高さの25メートル付近に並べた約1800個のキャンドルが準備された。

 スタジアムを拠点とする広島カープの選手や大学生らが点灯。「ピースライン」がくっきりと浮かび上がった。参加した地元・広陵高出身の中村奨成選手は「プロになって初めての『8・6』ということで自分に何か出来ないか考えた。野球で広島のみなさんに元気を与えたい」と語った。(高橋俊成)

被爆者数15万4千人、平均年齢は…(数字で読む原爆)

 厚生労働省の2018年3月のまとめでは、被爆者数は【15万4859人】。平均年齢は【82・06歳】。1980年度には【37万2264人】だった。

 直接被爆した1号被爆者は【9万6365人】、原爆投下後に広島市に入って被爆した2号被爆者【3万4257人】、被爆者を救護するなどして被爆した3号被爆者が【1万7176人】、母親の胎内で被爆した4号被爆者が【7061人】。

 都道府県別で見ると、広島県が【7万220人】(広島市=5万384人)、長崎県【4万449人】(長崎市=2万9064人)、福岡県【5892人】、東京都【5203人】、大阪府【5083人】と続く。

 海外で暮らす在外被爆者は、31カ国・地域に【3123人】おり、韓国が【2241人】、米国が【667人】、ブラジルが【95人】となっている。

 原爆が落とされた1945年の年末までに、広島では【約14万人】、長崎では【7万4千人】近くが亡くなったといわれている。(宮崎勇作)

山本浩二さん兄、73年ぶり母校へ(17:00)

 元広島カープの山本浩二さん(71)の兄、宏さん(80)は午後5時過ぎ、慰霊式典に参加するため、73年ぶりに母校の広島市立己斐小学校(旧己斐国民学校)を訪れた。校庭で大勢の遺体を焼く臭いが充満していたことがトラウマとなり、これまで来られなかった。「土を触ってみても、案外何の気持ちも湧かない。それくらい、当時の面影が消えてしまったんでしょうね」(橋本拓樹)

外国人観光客「戦争は嫌だ、我々はみな家族」(15:00)

 広島には毎年、多くの外国人観光客が訪れている。8月6日も平和記念公園などで多くの外国人の姿があった。

 平和記念公園にかかる本川橋近くに置かれた大きな世界地図の下に、英語で「どこから来ましたか」の文字。地図の様々な場所に赤、黄、緑のシールが並ぶ。地図の右下にシールを貼ったのは、チリから訪れたジョナサン・ガルビゾさん(27)。「もう戦争は嫌だ、我々はみな家族なんだ」と話した。

 この日早朝には、引き取り手のない約7万柱の遺骨を納めた平和記念公園内の原爆供養塔前で神道、キリスト教、仏教の順で、宗教者が祈りを捧げた。約400人が参列した。アメリカ・ワシントンから初めて広島を訪れたという大学生のエリ・ブルームバーグさん(22)は「アメリカ人として原爆投下の結果を知ることが必要だと考え、広島に来た」と声を詰まらせた。

 この日午後、在日コリアンの権(クォン)鮎美(チョンミ)さん(50)は韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で、手作りのチマを着て韓国舞踊を1人で静かに踊った。「碑から『みんな仲良く生きて。子どもたちの未来をつくっていくのは愛と平和とそれを祈る気持ち』と言われている気がするんです」(土屋香乃子、宮崎園子、大滝哲彰)

ICAN川崎氏「私たちは黙っているのか」(13:30)

核兵器の使用や製造を禁止する核兵器禁止条約が国連で採択されたのが2017年7月。その年の12月、条約採択に尽力した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した。しかし、被爆地の願いでもある核廃絶の歩みは遅々として進んでいない。

 この日、ICAN国際運営委員の川崎哲さん(49)が広島市中区の広島大学東千田キャンパスで講演会を開いた。約120人が耳を傾けた。核兵器禁止条約の発効には50カ国の署名・批准が必要だが、日本政府は見送ったままだ。

 川崎さんは「国際社会が動いているときに私たちは黙っているのか。この条約の存在を知ってもらって、日本がまだ参加していないという事実を知っていただきたい」と訴えた。(半田尚子)

のんさん、広島で舞台あいさつ「心配していた」(12:30)

 俳優のんさんが8月6日の広島で舞台あいさつ――。戦時下の広島・呉を舞台にしたアニメーション映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)を上映している広島市中区の映画館に、主人公「すず」の声を演じたのんさんと片渕監督が登場した。

 この日午前の平和記念式典に参列したのんさんは「すずさんを演じて、戦争に目を向けていかないと、という気持ちになった」と話した。

 のんさんはまた、西日本豪雨の被災地への気遣いも見せた。観客に向かって、「(豪雨の)大きな被害に遭われていて心配していたので、今日はおじゃまさせていただいて、皆さんの顔を見られたら良いなあと思っていました」と語りかけた。

 舞台の幕が上がると、観客からは「おかえりなさーい!」という声や大きな拍手がわき起こり、のんさんと片渕監督は笑顔で何度も頭を下げた。(永野真奈)

長崎の鐘、平和の響き(11:02)

 73年前、広島に投下された3日後、長崎に原爆が落とされた。

 長崎市の平和公園ではこの日、長崎に原爆が投下された午前11時2分、すべての犠牲者を悼み、平和を願って「長崎の鐘」が鳴らされた。

 平和団体が公園を訪れた市民らに呼びかけ、6日から9日まで毎日鳴らす。横浜市から来た中学2年、佐藤歌音さん(13)は「鐘を引くひもは重かったけど、それ以上に戦争の悲惨さを考え、心で平和の重みを感じました」と話した。(弓長理佳)

首相、核禁条約めぐり被爆者代表と平行線(10:48)

 「思い出すことはつらかったと思いますが、体験をここを訪問する子どもたちに伝えてこられた。皆さまの努力が核なき世界に結実するように、我々も全力を挙げなければならない」

 広島市で平和記念式典に参列した安倍晋三首相はその後、同市東区の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」を慰問。約30人の被爆者を前にこう語り、「お元気で」と声をかけた。

 慰問に先立ち、首相は広島市中区のホテルであった「被爆者代表から要望を聞く会」に出席。7人の代表とテーブルを挟んで向かい合った。

 正面に座った広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長はこう訴えた。「原爆というのはね、人間の悪知恵で作ったもん。人間が作ったんだから、人類が解決しないといけない。あの世へ行く気がしません」

 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約への署名と批准を要求。原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を引き、「政府の態度は、碑文の誓いに背くもの」と批判した。

 一方、首相は核禁条約は「アプローチは異なるものの、条約がめざす核兵器廃絶という目標は共有している」。核兵器国と非核兵器国の「橋渡し役を担う」と述べ、署名や批准は行わない姿勢を改めて示した。

安倍首相への手紙(田井中雅人記者コラム)

 内閣総理大臣 安倍晋三様

 広島平和記念式典でのあいさつで、あなたは昨年に続き、今年も核兵器禁止条約に一切触れませんでした。「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)と核実験被害者の受け入れがたい苦痛と被害を心に留める」とうたった条約が122カ国の賛成で採択されてから1年余り。被爆地には怒りと落胆が広がっています。

 式典後、被爆者代表の要望を聞く会で、あなたは条約に署名・批准する考えはないとの立場を改めて示しました。昨年、「満腔(まんこう)の怒り」を表明した広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄(ゆきお)事務局長(89)はこう嘆いています。「昨年と同じことですよ。全然受け入れられるような状況じゃない。わが国は被爆国だということを根っこに持ってほしい」

 条約に背を向け続ける、あなたのかたくなな姿勢は、式典あいさつで誓われた「橋渡し役」を果たすには不適格と映ります。

 残念ながら、渡す「橋」の軸足が「核の傘」を差し掛ける同盟国・米国側だけに置かれていることが、国際社会にも被爆地にも見透かされているようです。核兵器の非人道性の象徴である核被害者に、もっと寄り添う姿勢を示すことが、実質的な「橋渡し役」の条件ではないでしょうか。

 核禁条約のモデルとなった対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約では、日本政府は米国の反対を押し切って署名・批准しました。それぞれ当時の小渕恵三外相、福田康夫首相の人道的な政治決断でした。

 最後に、条約を5月に批准し、きょうの広島の式典に参列したオーストリア外務省のトーマス・ハイノッチ軍縮・不拡散局長からのメッセージを記します。

 「オーストリアは憲法で核兵器を禁止しているので、核禁条約もスムーズに批准できました。もちろん条約に参加するかどうかは日本政府と国民が決めることですが、大いに関心を持っておられることは承知しています。条約はすでに国際社会で現実のものとして受け入れられつつあり、発効は時間の問題ですよ」

 合わせて、こちらもお読みいただけると幸いです。 http://webronza.asahi.com/politics/articles/2018080100008.html別ウインドウで開きます

 (核と人類取材センター・田井中雅人)

夾竹桃の物語、紙芝居初披露(10:30)

 原爆で被爆した動植物を描いた絵本「夾竹桃(きょうちくとう)物語」の紙芝居が、広島市内で開かれた読書感想文コンクールの授賞式で初披露された。

 「夾竹桃物語」は原爆投下で燃えたキョウチクトウを被爆した犬たちが身をていして消し止めた、という物語。広島市の弁護士で墨絵詩人、緒方俊平さんが2000年に出版した。

 絵本の世界をより多くの人たちに伝えようと、コンクールを主催する事務局が紙芝居を発行した。全19枚の紙芝居は今後、4千冊を全国の学校や図書館に寄贈する予定だ。

 感想文コンクールは今年で18回目。小中学生対象に全国から3138点の応募(作文・絵画・書道の各部門)があり、入選者46人のうち、43人が広島に招かれた。文部科学大臣奨励賞を受賞した大船渡市立第一中学校2年の畠山公君は「原爆や平和について、もっと学び、もっと知りたい」と話した。(小池寛木)

韓国人被爆者、現地で追悼式@ソウル

 日本統治時代に広島や長崎で被爆した韓国人被爆者を追悼する式典が6日午前、ソウル市道峰(トボン)区の区民会館であった。被爆者とその家族ら約200人が出席。平和の鐘を鳴らし、犠牲者の位牌(いはい)を据えた祭壇に祈りを捧げた。日本大使館の職員も出席した。

 式典を主宰した韓国原爆被害者協議会によると、韓国在住の被爆者は約2500人で、うち約550人がソウルで暮らす。生後4カ月で広島で被爆した李基烈(イギヨル)・同協議会支部長(73)は、韓国政府が今夏初めて在韓被爆者の実態調査に乗り出したことを明らかにした。

 協議会は日本政府に対し、日本人被爆者と同様の援護措置を求めるとともに、反核平和運動に取り組んできた。日本兵として広島にいて被爆した郭貴勲(カクキフン)さん(94)は「今年の南北首脳会談や米朝首脳会談は、核なき世界を願う韓国の被爆者にとって良いニュース。ただ、実際の達成まで、まだまだ時間がかかりそうだ」と話した。

 日本大使館からは村上学参事官ら3人が出席。大使の追悼の辞を代読し、「世界に再び原爆による被害者が出るような不幸が繰り返されることがないよう、平和の誓いを新たにします」と述べた。同様の追悼式は6日午前、広島被爆者が多く暮らすことで知られる慶尚北道陜川(ハプチョン)でも開かれた。(ソウル=武田肇)

原爆の残り火、今も燃える@福岡・八女

 73年前に広島の焼け跡から持ち帰られた原爆の残り火が「平和の火」として今も燃える福岡県八女市星野村の「星のふるさと公園平和の広場」で、市主催の平和祈念式典があった。原爆投下時刻にあわせ、参加者が黙禱(もくとう)した。

 火は地元出身の山本達雄さん(2004年に88歳で死去)が広島に住んでいた叔父の遺骨代わりに持ち帰り、自宅でともし続けた。山本さんにとって当初は「うらみの火」だった。だが、「うらんでばかりでは世界は平和にならない」との思いから、「平和の火」へと変化した。1968年に星野村(現・八女市)に受け継がれ、今年で50年となる。

 式典には広島市の松井一実市長が「絶対悪である核兵器の廃絶と平和の実現に向け共に力を尽くし、行動してくださることを期待しています」とメッセージを寄せた。星野小6年原口ひなのさんが「この先の未来へ永遠にともし続けられるよう努力したいです」という「平和の誓い」を述べた。(佐々木亮)

小中学校では「8・6登校日」@広島県内

 広島県内の公立小中学校では、8月6日を平和学習の日として登校日にするところが多い。夏休み中のこの日、学校には子どもたちの元気な声が響いた。

 平和記念式典の開かれた広島市の平和記念公園の北東約1キロに位置する白島(はくしま)小学校(同市中区)では、児童約400人が式典のテレビ中継を見て、午前8時15分から1分間黙禱(もくとう)。その後、被爆者の講演に耳を傾けた。

 6年生の高下紘夢(こうげひろむ)君(11)は「多くの人が平和について考える8月6日は、広島にとって特別な日。戦争は二度と繰り返してはいけないと改めて実感しました」と話していた。

 これまで市の教職員の勤務は広島県条例に基づいていたが、昨年に権限が県から市に移管。市条例では8月6日が「市の休日」のため教職員が出勤できず、別の日を登校日にするなどした。このため、市は今年度、登校日を各校の判断に委ねる「臨時の学校行事」と位置づけ、8月6日に登校できるようにしたという。(原田悠自)