拡大する写真・図版 発泡スチロールに氷詰めされた魚が行き交う早朝の築地市場=竹谷俊之撮影

[PR]

魚河岸ものがたり:1

 築地市場は、隅田川右岸に接している。

 午前1時。卸売場近くの岸壁を、長靴を履いた何人かが歩いている。そこに、トラックで日本中、いや世界中から届いた魚が、次々と山積みされていく。

 尻ポケットに右手を突っ込んで歩く古老が言った。

 「海がねえ、見えるんだよ」

 海面が見える、という意味ではない。トラックの流れと、山と積まれた発泡スチロールを見れば、何が豊漁で何が不漁か、海の様子が見える。そして、きょうの相場が見えるという。

 古老は、仲卸「て良(りょう)」の2代目井上武久さん(80)。「きょうは、アジが安い。買いだね」

 「て良」は、魚河岸で奉公していた父良策さんが独立して誕生した。働いていた店の屋号「て音」から「て」、自分の名前から「良」を取って名付けた。

 「魚を集めて、売って、買う。それが魚河岸――ってんじゃ、ないんだよ。食の安全を守っているのが、魚河岸なんだよ」

    ◇

 市場開設から83年。築地での取り扱いが原因となった深刻な食中毒は起きていない――。魚河岸に生きる人たちはよく、そんな誇りを口にする。築地市場にはフグの除毒所があり、仲卸業者らの組合によると、ここで毒を取り除いたフグで死んだ人はいないという。

 場内では殺虫剤を使っていないのに、めったにハエやカを見かけることはない。外から入ってくる虫はいても、市場内では繁殖しないからだと言われる。

 水産物市場には、全国から集まった魚介を売り買いする「卸売場」と、すし職人やスーパーのバイヤーたちが買い出しに来る「仲卸売場」がある。すぐ近くに、ワサビや大根が買える青果売場もある。

 戦災もくぐり抜けた施設はいまや老朽化し、手狭にもなっている。それでも、長い年月をかけて改善が重ねられてきた「使い勝手の良さ」がある。

 大正末まで、東京の魚河岸は日本橋にあった。「日に千両の落ちどころ」。江戸時代にそうたたえられた魚河岸は、1923(大正12)年の関東大震災で焼失し、日本橋から築地に移転。市場に携わる人たちが「築地ブランド」を育み、食の安全と日本の魚食文化を守ってきた。農水省などによると、築地は全国の中央卸売市場の4分の1の水産物を取り扱う世界最大級の魚市場だ。

 午前1時、「日本の台所」が動き始めた。

    ◇

 83年の歴史に幕を下ろす魚河岸・築地市場。10月の豊洲移転に向けて、消えゆく魚河岸の物語をつむぐ。(抜井規泰)

こんなニュースも