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 ブルペンで投げる息子を見たアルプススタンドの父は思った。「息子の夢を諦めさせてまで、ブラジルに帰らなくて良かった」

 7日の第1試合、佐賀商と対戦した高岡商(富山)の投手、井上ビリィ君(3年)はリードして迎えた八回、投球練習を繰り返した。背番号11をアルプスに向け、長い右腕を振った。

 その様子を父のアキラさん(46)が目を細めて見ていた。アキラさんは日系ブラジル人3世。祖父母が約1世紀前、日本の移民政策でブラジル・パラナに渡って、米や野菜などを栽培し生計を立てた。ブラジルで育ったアキラさんは少年時代、柔道の五輪代表を夢見ていた。しかし、家計が厳しいことに気づき、「柔道が嫌になった」とうそをついてその夢を手放した。

 19歳の時、祖父母が生まれた日本を見たいと来日。日本で出会った妻と結婚して生まれた次男のビリィ君が、兄に続いて野球を始めた小学3年の時、アキラさんは仕事の関係で、家族を連れて母国ブラジルに帰ろうと思った。「息子たちがブラジルを良い国だと思えば、一緒に行きたいと言ってくれると思った」。3カ月間、家族でブラジルに滞在した。

 親戚たちは陽気で優しく、一家を楽しませてくれた。息子たちは現地の言葉は話せなかったが、楽しい思い出を作ったつもりだった。ただ、母国には日本の野球少年が憧れる「甲子園」はなかった。

 「日本で野球がしたい」。涙して訴えるビリィ君にアキラさんの心は揺れた。柔道を諦めた少年時代の自分と重なった。息子の夢を壊したくない。家のことを心配せず、満足するまでやってほしい。「日本で働いて、彼の夢を支えよう」と決めた。

 日本で野球を続けられることになったビリィ君には、つらいこともあった。「見た目でいじめられたり、からかわれたりした」。それでも、野球に打ち込む間は、嫌なことも忘れられた。

 小学生の時にはチームで主将を務め、中学では投手として活躍した。高岡商では昨秋からベンチ入り。今夏初めて夢の舞台に立った。ビリィ君は「自分のプレーで同じような境遇の人たちにも喜んでもらいたい」と語る。

 この日、高岡商はエース山田龍聖(りゅうせい)君(3年)と大島嵩輝(たかき)君(同)の2投手の継投で、4―1で粘り勝ち。ビリィ君の登板はなかったが、「甲子園での姿をパパに見せることができて良かった。次はマウンドに立つ姿を見せたい」と話した。

 スタンドの父、アキラさんは言った。「うれしいです。ビリィは背番号11だけど、僕にとってはナンバーワン」(高億翔)

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