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 平和祈念式典では被爆者代表の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=が「平和への誓い」を読み上げた。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に長く関わり、現在は代表委員の一人。被爆者運動の先人をしのび、念願としてきた「核兵器禁止条約」の早期発効へ力を尽くす、と改めて誓った。

 13歳の時、爆心地から3・2キロの自宅で被爆。黒焦げの遺体が散乱する焼け跡を、親類を捜して歩いた。

 浦上地帯の地獄の惨状を私の脳裏から消し去ることはできません。

 父方と母方の両方の伯母たち5人が命を奪われた。母子家庭だった田中さん一家は、支えてくれた親類を失い、暮らしが困窮した。

 被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。

 原水爆禁止運動の高まりに励まされ、1956年8月、日本被団協の結成大会が長崎市で開かれた。団結して被爆者援護を勝ち取るとともに、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と訴えてきた。「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)を始めとする若い運動の担い手が育ち、核禁条約はようやく昨年、国連で採択された。

 ところが、日本政府は署名も批准もしない。「よりによって、昨年の原爆の日に首相自ら公言した」。田中さんには被爆地への冒瀆(ぼうとく)に思えた。

 国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。

 紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。

 多くの被爆者や核廃絶を願う市民社会の思いを背負い、政府に問いかけるかのように述べた。(佐々木亮)