ダム緊急放流、決断の背景に迫る 河川氾濫で犠牲者多数
7月の西日本豪雨は、各地に未曽有の雨を降らせた。四国・愛媛県も例外ではなかった。1級河川の肱(ひじ)川では、貯水能力を上回る大量の水が流れ込んだ二つのダムが、過去最大の緊急放流に踏み切った。川は下流で氾濫(はんらん)し、犠牲者が出た。
あのとき、何が起きていたのか。
国や自治体、地元の消防団、住民らへの取材を通じ、時間を追って「ダム・クライシス(危機)」が高まっていった様子を再現する。(大川洋輔、波多野陽)
肱川
愛媛県西予市の鳥坂峠を源とし、人間の「ひじ」のように折れ曲がって伊予灘へと流れ込む。103キロの長さの割に全国で5番目に多い474の支流を従え、水量が一気に増えやすいとされる。下流の同県大洲市周辺では戦前から大洪水が繰り返され、1959年に2980万トンの水をためられる「鹿野川ダム」が完成した。
【7月4日20:00】
「ダムへの流入量は毎秒890トン」
愛媛県西予市の野村ダムにある国土交通省の管理所。職員たちは、日本気象協会による予想雨量をもとにした48時間後の推計データを確認するのが日課だった。はじき出された数字を見て、職員たちは戦慄(せんりつ)した。
野村ダム
肱川上流の西予市にある「野村ダム」は、県南部のかんきつ農家の水不足を解消するなどの目的で1982年に造られた。1270万トンの水をためられる。西予市は「平成の大合併」により、2004年に旧野村町を含む5町が合併してできた。現在の野村町は旧野村町時代から酪農や畜産が盛ん。かつては養蚕業も栄え、「ミルクとシルクの町」と呼ばれる。
普段の流入量は毎秒数トンほど。これまでの最大は、1987年の梅雨時期の毎秒806トンだった。この時は、下流で駐車場や田畑が水没した。その後に河川は改修されたものの、毎秒1千トンに迫る放流をすれば下流が水没する恐れがあった。
「(ダムの水を利用する権利を持つ)水利者と協議して、事前放流が必要だ」
2日後に予想された豪雨を前に、川西浩二・管理所長らは動き出した。事前放流とは、大量の水が流入するのが予想される場合に備え、貯水量を減らしておく処置だ。
このダムは、周辺地域のかんきつ畑や水道に水を供給する水がめでもある。「野村ダムなくして南予のミカンはない」と考えていた川西所長。迫り来る豪雨を前に、地域の生活や農業に用いるための貯水をあきらめてでも、水位を大幅に下げておく必要があると判断した。
【5日9:30】
一夜明け、野村ダムは事前放流を始めた。この時間までに、関係する水利者の承諾は得られた。管理所の雰囲気について、酒井博之専門官は「予想雨量が大きく、緊張感があった」と証言する。
野村ダムの貯水能力は1270万トン。この放流によって水位は下がり、利水用の250万トンを加えた計600万トン分を空けた。
【6日22:00】
事前放流から1日半が過ぎた。予報通り、雨雲は停滞。野村ダムの上流域も雨が降り続き、水の流入量が毎秒300トンを超えた。
下流にはもう一つの鹿野川ダムがあるが、そのまま流せば最下流の大洲市で浸水が懸念される量だ。
管理所には、当直以外の職員も含めて、ダムの操作に関わる約10人全員が詰めていた。事態は、事前放流による「備え」を超えつつあった。
【7日2:30】
「今のままでは川があふれる恐れがある。(流入量まで放流量を増やす)異常洪水時防災操作を午前6時50分に行う」
異常洪水時防災操作(緊急放流)
豪雨時に水をためて下流の水位上昇を抑えていたダムが満水に近づいた時、緊急的に流入する量とほぼ同量の水を放つ操作。ダムの決壊や破損を防ぐ手段だが、急激に川の水位が上がるため、下流の住民らの避難が必要なケースもある。
川西所長は、西予市野村支所の土居真二支所長にホットラインの電話をかけた。
この操作は緊急放流とも呼ばれ、これまでダムが受けとめることによって絞ってきた下流への水の量が一気に増えることを意味する。
土居支所長は車を走らせ、西予市の管家一夫市長らと協議。「移動の安全も考えて、少し明るくなった時間に避難させよう」。午前5時半までに、住民らに避難指示(緊急)を発令することが決まった。
【3:37】
午前3時以降、1時間に20ミリを超える雨が続き、歴史的な豪雨になり始めた。川西所長が土居支所長に伝えた。「操作の実施は(30分前倒しして)午前6時20分になる」
支所へ戻る途中だった土居支所長は急いで部下たちに指示を与えた。「消防団員らを集めて、午前5時10分の避難指示を住民に呼びかけてくれ」
◇
ダムが大雨による水を受け止めきれない。苦肉の策の緊急放流が迫るなか、すぐ下流で、消防団員らによる必死の呼びかけが始まった。(続く。ダムクライシスは全4回の予定です)
◇
〈肱川と二つのダム〉 愛媛県西予市の鳥坂峠を源とする肱(ひじ)川は、人間の「ひじ」のように折れ曲がって伊予灘へと流れ込む。103キロの長さの割に全国で5番目に多い474の支流を従え、水量が一気に増えやすいとされる。
下流の同県大洲市周辺では戦前から大洪水が繰り返され、1959年に2980万トンの水をためられる「鹿野川ダム」が完成した。肱川は大洲市の中心部を流れ、肱川の鵜飼(うか)いは市の観光資源としても知られる。市内には明治や大正期の建築物が残るエリアがあり、風情ある町並みから「伊予の小京都」と呼ばれる。
上流の西予市にある「野村ダム」は、県南部のかんきつ農家の水不足を解消するなどの目的で1982年に造られた。1270万トンの水をためられる。西予市は「平成の大合併」により、2004年に旧野村町を含む5町が合併してできた。現在の野村町は旧野村町時代から酪農や畜産が盛ん。かつては養蚕業も栄え、「ミルクとシルクの町」と呼ばれる。
《異常洪水時防災操作(緊急放流)》 豪雨時に水をためて下流の水位上昇を抑えていたダムが満水に近づいた時、緊急的に流入する量とほぼ同量の水を放つ操作。ダムの決壊や破損を防ぐ手段だが、急激に川の水位が上がるため、下流の住民らの避難が必要なケースもある。
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