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 浦和学院(南埼玉)と12日に対戦する予定の仙台育英。遊撃手の沢田佑(たすけ)君(3年)は、一度は置いたグラブを再び手に取り、甲子園の舞台に立つ。7年5カ月前、津波の犠牲になった親友を連れて行くという思いが原動力になった。

 2011年3月11日。宮城県石巻市の沿岸部に住み、当時小学4年の沢田君は大きな揺れと津波に襲われた。家が船のように浮かんで流され、がれきにぶつかって助かった。

 少年野球チーム「釜小ヤンキース」の投手だった。「全国優勝しよう」。バッテリーの松川空君(当時10)と約束し、2週間後に予定されていた新人戦に向け練習に励んでいたが、避難先で母の栄さん(45)から「空が亡くなったよ」と伝えられた。まさかと思ったが、涙を流す母を見て事実だと悟った。

 いつも使っていたグラブを触る気になれなかった。「俺のボールを捕るのは空じゃないと」。しかし松川君の家を訪れた際、母親から言葉をかけられた。「空の分も野球を続けてね」

 釜小ヤンキースに戻り、中学ではクラブチームに。高校は仙台育英を選んだ。「空を甲子園に連れて行きたい」。一番近い学校を考えたらここしかなかった。

 家から通える距離だったが、「人の倍、練習しなくちゃいけないから」と親を説得し、下宿させてもらった。守備が評価され、この夏、背番号「6」を勝ち取った。宮城大会では打撃も好調で6割近い打率。決勝で勝利に貢献し、甲子園出場が決まるとマウンドに向かって駆けだした。最初に浮かんだのは「空の顔だった」という。

 大事な試合の前には、いつも野球バッグに入れて持ち歩いている松川君の写真を見る。約束は「全国優勝」。それを果たせるステージまでやってきた。(窪小谷菜月)

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