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 瀧正男さんは高校野球史の大半を知る生き字引だった。中京商―明石中の延長二十五回があった第19回大会(1933年)は小学6年生。「親戚の家に行ってラジオで聴いた。アナウンサーが中京商はノーエラーと言うので、えらいもんだなあと思った」

 自身も中京商で夏春連覇を経験し、戦後は指導者として母校を復活させた。中京大に移ると後進の育成に力を注ぎ、栽弘義・元沖縄水産監督、永田裕治・前報徳学園監督らを育てた。2012年、90歳で死去。

 生き字引の空白期間は、戦争と重なる。自身も入隊し、台湾経由でマニラへ。米軍の魚雷を縫っての進軍だったそうだ。クアラルンプールで終戦を迎え、日本に帰れたのは約2年後。

 「私は運がよかった。先輩はみんな戦死した。平和が1番。若者を戦地に送ってはいけません」。生前の言葉が思い出される。

 きょう、終戦の日。野球殿堂入りが決まった瀧さんの表彰式も甲子園である。100回目の夏、先人たちに感謝し、平和の球音を未来につなぐと誓いたい。(編集委員・安藤嘉浩

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